その府中城内。
主命によりひきだされてきたわかき城兵にたいし、雑兵が首根っこをおさえつけているのを、利家はやめさせた。動機を問いただす障害になると、わかってからだ。
動機を掌握せずしては善後策などない、くらいは当然にわきまえる、信長から薫陶をうけてきた一廉(かど)(すぐれている)の武将であった。
「なにがあったというのじゃ!隠さずもうしてみよっ!」ギリギリのところで押さえている激昴だったが、返答しだいでは爆発を押さえきれないだろうと。かれは、生まれもった自身の性格を知悉していた。
右のまぶたが絶えまなくぴくぴくと痙攣していたが、いまは精一杯の自重につとめていた。乗りこえてきた戦場や所領統治などでの経験から、えた思慮分別である。
くどいようだが、経験から学ぶことをしらない並み以下の武将であったならば、感情にまかせ、問答無用で切りすてていたであろう。
少年兵は土下座したまま、ただおし黙っていた。がその両肩は、激しくうち震えていたのだった。しでかした重大事にようやく気づき、先刻より恐れ戦(おのの)き、あげく、たまらず号泣してしまったのである。
いっぽう城内は、数千人も将兵たちがいるとはおもわれないほど、咳(しわぶ)きひとつなく静まりかえっていた。ただ主従の問答を、かれらは知るすべをもたなかった。やがてもれてくるであろう情報をおとなしくまつ、気の毒な立場のひとびとであった。
ぎゃくに側近のおおくはというと、わが身にふりかかる災厄を心配しつつ、主従の言動にたいし、固唾をのんで見まもるしかできなかった。事ここにいたっては、発言権などあろうはずなかったからだ。
「おまえは、いわば丸腰のものに矢を射かけたのじゃ。手むかいしないものを手にかけることがいかに人倫にもとるか、年若いとはいえ、おまえにもわかろうというもの」
さすがの利家も、敵将の来訪を〈濡れ手で粟〉と安易にとらえ、で、この最悪を招いたことすら思慮してなさそうな若年兵に、さらには苛立ちもおぼえていた。
眉間にはふかいしわが刻まれ、まなじりはつり上がり、怒りがきびしい眼光となって、わかき城兵の頭を射ぬいていた。
それでも、若いころとはちがっていた。
このときの心情こそ、重要なので詳記すると、
勇猛でしられた利家ではあったが、激情にかられて斬りころしてしまっては、秀吉陣営にたいし、いかようにも申しひらきができないとかんがえたからだ。
「も、申しわけござりませぬ。誠に、まことに…。仰せのとおりにござりまする」平伏したままようやくそれだけを発した。嗚咽しつつ、消えいりそうな声であった。
「非道とわかっての所業とな。ならばその方にも、よほどの存念があってのことであろう」口をひらいたことで、焦燥がすこし和らいだ。
「この期におよんでの申しひらきは武人の恥。父は日ごろよりわたくしめに、そのように申しきかせておりました。ましてやこれほどの大失態、どのような申しひらきができましょうや」
じつは、弁明は詮なきことと、わかき守兵に諦観をいだかせる事態が、先刻おこっていたのである。
事件発生直後、泡をくって走ってきた城兵たちは、かれをとり囲むと口々に罵り、また小突いたりしていたのだ。
かれらのいわく、「おまえのおかげで、この城は総攻撃をうける羽目になった」「もはや生きてこの城を出られるものはだれもおらんじゃろう」「わしは死にとうない!」など。これらは至極もっともな正論であり、人情の発露であった。
さらには「この大うつけものめが!」と、打擲(ちょうちゃく)(うちたたく)するものも、ひとりやふたりではなかった。
だが、少年がもっともこたえたのは、「わしが死ねば、飢え死にするわしの幼子らがあまりに不憫じゃあ…」と取りすがられて泣かれたことだった。
前後をかんがえず、激情からことにおよんでしまい、それが招く事態に、このときはじめて気づかされたのである。
心頭より発した瞋恚(しんい)(はげしい怒りや憤り)だったが、不惑(四十歳)となってはや五年の利家は、主君という立場から憤怒を無理やりおし殺し、「それではわからぬ。まずは面(おもて)をあげよ」平静を努めにつとめ、すこしく優しげな声でいった。
ややあって、少年はなき腫らした顔をあげた。大胆なことをしでかしたとはおもえない、あどけなさののこる紅顔がそこにあった。
その、童顔の中心に位置する瞳をみつめながら、再度口をひらいた。
「わが軍は、いまや進退きわまった」だがさすがに、誰のせいでなどと不毛なことはいわなかった。「されどそれとて、家来どもをたすける手だてが皆無というわけではない。しかしそれには、そのほうがまずは正直に存念を、このわしに打ちあけることじゃ」
声音だけでなくその眉からも、怒りはきえつつある。
「しらねば、わしとてかんがえうる最善の手のうちようがない」ここでいったん口をつぐんだ。つぎの言葉をあやまたないようにするためであった。
「さすれば先に、このわしから正直に申そう。ただしじゃ、おまえを助けることをかんがえておるわけではない。いかな、それは無理じゃ。ただ、無益な戦をさけ、みなを安堵させたい。ただそれだけじゃ」
身をねじられるような心境のなか、苦悶のせいで、蒼白になった表情はまだ歪んでいた。「わかるであろう」
若気のいたりとはいえ、主家全体を存亡の危機におとしこんだ結果もだが、黙秘したそれ以上の理由は、じつは感情を制御できなかったことによる忸怩(恥いること)であった。
元服したにもかかわらず、わらべ同然の行動をとったじぶんが、情けなかったからだ。
しかし、主君の腐心にふれた城兵は意を決っすると、吐露すべく、おもい口をようやくひらいたのである。
「茂山より退陣のおり、殿(しんがり)のなかに父もわたくしめもおりました。敵方に追われるなか、奮戦していた父でしたが、敵の槍により、ついに落命いたしたのでございまする。わたくしめはその場にて、刹那、父の仇をば討ちはたしはいたしました。なれど、帰城後も心晴れることなどなく…」
亡父は、武士(もののふ)の子としてきびしく育てたのであろう、声はちいさかったが、言辞はしっかりしていた。
「そんなおり、この戦の元凶の御仁が単騎で入城いたしました。これこそは亡父の計らいと信じ、ほかのことなどは胸中になく、ただ無心にて、矢を射かけたのでございます」しかしそこはまだ少年のこと、いうなり、またもや咽びはじめたのだった。