またももどす、今度は、12月21日日曜日午前八時半からの緊急捜査会議のあとに。
現事件だけでも胃がいたくなるほどなのに、今以上のもんだいとなるのではと想像させる不吉がじつはある。
否、そこまで深慮しなければならない未来予測の到達点があるということだ。
とはいうものの、この不祥の予測にたいし……とくに根拠があるというわけではなかった。むしろかりの想定としたほうが、客観的には正鵠を射ているであろう。
だとしても、警察官として、危惧すべき事態にそなえる…すくなくとも、つぎの犠牲者をださないための手を打つ必要を、かんじとるということだ。
具体的に想定するに、当初の仮想とは矛盾するようだが、犯人が高飛びなどせずに潜伏し、メンが割れていないのをいいことに、殺害をくり返すという予見。
これが、矢野と星野がいだく危惧のひとつだ、しかももっとも恐ろしい。
そんな、警察官としての恐怖にもめげず憶測をかさねたけっかの大胆、それはプロファイリングもかねることになるのだが――連続殺人は、おそらく犯人にとってはそれなりに由(よし)のある動機や理のある意思をもっての結実、なのだろう――であった。
とりもなおさずそう推したのは、単独犯による徹底した計画犯罪と、矢野と星野にはそんな情景が脳のスクリーンにうつったからだ。
くり返すが、徹頭徹尾の計画犯罪だ、と。遠映(矢野は、背景的にうつっていたあの被写体こそ犯人だと確信している)と、偶然による唯一の目撃者しか存在させないように工夫や工作をし、さらに、カメラが遠映としてとらえた時間が狙撃から五分後だったことか ら、犯行直後、最短時間で狙撃現場から撤収したとふたりはみてとった。
綿密に謀ったせいかか、あるいはとほうもない凄腕のプロか。
矢野は前者ととった。凄腕のプロならば、場壁邸付近で目撃者に姿をさらさないだろう。
たとえば場壁のスマフォに、技術革新した小型GPSと超小型マイクを取りつける手段のほうが、リスクはすくなかろうと。
腕利きのスリならスマフォを失敬し、工作のあと場壁のポケットにかえすなんて朝飯前だろうから。
ただし客観的にみたばあい、矢野ら見立ての単独犯とは断定できない状況が、醸しだされている。
それを、犯人の故意による工作と星野はいった。だがあくまで心証であって、確証はない。
ぎゃくに、醸された心象のせいで、ざんねんながら捜査経験のすくない、とくに上層部はというと、捜査上まことに不都合なことにおちいった。
場壁邸周辺における目撃者の出現およびかれらの発言内容にかんがみ、捜査をミスリードさせんがため、犯人は故意に露出したのではないか?あるいは、たんにうっかりミスで目撃されたのか、いまだ、その判断にまよってしまっている。
けっか、プロファイリングひとつとっても、原たち上層部は口にこそださないが、錯綜や混乱に埋没しているのである。
いっぽうで、臨機応変なかんがえ方をする現場のデカたちもいる。
頭がよさそうだ、以外の犯人像すらプロファイリングできない本件のようなばあい、異見もあろうが、単独犯よりも複数犯のほうが、捜査になれた現場組にとっては好都合だと。
複数犯だと仲違(たが)いすることもあり、となれば、おのずと尻尾を露呈させてしまうだろう、そう期待できるからだ。
で、犯人たちの反目の原因についてだが、たとえば殺害動機が全員おなじとはかぎらないこともある。
具体例としては、犯人Aは報復であっても、Bは金銭欲や独占欲など各種の欲望に起因する、というような異なる目的で共犯となることも。ことに独占欲のつよい人間をふくむ、金銭目的の犯行だったばあい、仲違いをおこしやすい。
ただし、こんなばあいの問題点も承知している。犯行グループが有象無象(うぞうむぞう)(種々雑多なろくでもない連中)でありすぎると、動機がしぼりにくくなることだ。
他方、なにも犯人側だけが割れるわけではない。集団になれば世の常、一枚岩はむずかしいのである。
それに輪をかける事態。捜査経験のすくない原のような頭でっかちが捜査の決定権をにぎっていると、まあ、ロクなことはない。
まして、リーダーシップも人望も希薄だと、さらにきびしい。警察官にかぎったわけではないのだが、遺憾ながら、同床異夢(おなじ立場ながら、べつべつの思考や目的をもつ)をうんでしまうのだ。
とくにけっかがでやすい警察組織においてだが、極端なばあい、捜査そのものが、真犯人逮捕と同義ではないという歪みがおきた事実もあった…。
いや、上層部の本音においては、事態収拾を第一義としていたのだ。ふるい話、戦前・戦中は冤罪もふくみ、ひどかったが、それはおく。
現場をあずかるデカたちは事件解決を、まずもって目標とする。が、うえは、マスコミの眼や世論への体面を重視する傾向にある。キャリア組ならではの、自己保身がそこに。
情けないが、警察トップのメンツのためだったり、上層部がじぶんらの都合上想定した犯人像と相違したばあいに、あえて“過去”とよぶ事例ではあるが、しんじられない事実が存在したのだ。
それは、警察トップの実体の露呈、事件解決できていないといういみにおいても悪例なのだが、あえて列記するならば、コールドケースとなった、まずは、世にいう”三億円事件“である。
警察組織をまもるために。それが、迷宮いりした最大の理由であろう…通説(ネットで検索してほしい)で、なんともはや恐縮ではあるが。
つぎも、警察への悪口とうけとってほしくはないのだが、同床異夢をもうひとつ。
現場が逮捕すべきだと主張したにもかかわらず、力ずくによるうえからの異議でもって、逮捕のジャマまでしたという、ウソのような話も。が残念ながら…事実ある。
NHKが、特別番組“未解決事件”でとりあげた、有名なグリコ森永事件だ。
捜査員たちがはりめぐらせた網にかかった実行犯を、「犯行グループ一網打尽のためだ」ととうじの大阪府警本部長が、「タイホするな。泳がせろ」と命令したのである。
現場からの再三の、「逮捕を!」との悲痛なひっしの要請を、頑迷にも拒絶しとおしたのである。
未解決は、とうぜんの帰結であった。
少々脱線したことをわびつつ、矢野たちの推理にもどるとしよう。
つぎの事件がおき、それが模倣犯によったばあいだ。世間がさわぐのをおもしろがって犯行をコピーする、そんな、ていどのひくい輩(やから)による、過去にもよくあった犯罪である。
あらたな犯罪の発生自体おぞましいことだが、こまるのはわけのわからない奴の介入で、捜査が混乱の底におちいることだ。
じぜんに警戒しておくにしかずと、星野と矢野はどうじに気をひきしめていた。
ただ模倣犯には、精巧な計画性まではもちえないはずだと、そう即座に。
しょせんは愉快犯であり、つよい動機をいだいていない殺害ゆえに、アリバイづくりや動機をかくす精緻(きわめて綿密)な工夫など、輩にはできないにちがいない。極端ないいかたをすれば、いき当たりばったりなのである。
ベテラン捜査員からみれば、へんな表現だが、犯罪そのものに真剣みがなく、そのぶん犯行ないようの質の軽薄さを、矢野らにすればかんたんにみてとる自信がある。
だからといって、むろん油断は禁物だ。ただもんだいは、じぜんの阻止はほぼ不可能だということ。犯罪に傾向性が存在しないぶん、ねらう相手をまったくしぼれないからだ。
無力に歯噛みつつ、でたとこ勝負するしかなく、阻止そのものは、あきらめざるをえない。で、こんな心配、杞憂(とりこし苦労)であってほしいのだが…、
それはそれとして“こだわり”をすて、つぎの犯行を想像するのだが、捜査と同時並行で、いわゆる要人警護にもそうとうな人員をさかねばならなくなるだろうと。
ただしつぎのターゲットが犯人の計画では存在するとしても、だれがいつどこでいかなる手段でねらわれるか、皆目見当のつかない事態こそもんだいなのだ。
それを原部長に進言したのだが、もちいる風情ではなかった。じぶんが希(こいねが)う方向での、事件解決をなし遂げなければと、そのことで頭はいっぱいいっぱい、正直それどころではないのだ。
このときにも、かれの狭量がでてしまった。おきるときまったわけではない事件にかまけておれる精神状態では、もはやなかったということである。
まあそうなるだろうとはお見通しの俊英コンビは、「公安等、ほかの部署に申請や応援依頼をしては…」と打診した。
すると「まかせる」と高圧的に。「ただし、ぼくからというのではなく、参事官の名前で手つづきしてくれたまえ。どういうことかわかるね」頭をさげるのはイヤだ、プライドが許さないということのようだ。だから、部下に懇請させようとのハラである。
なるほど学業は優秀だったのだろうがこのオトコ、はっした言のせいで、度量のほどがわかるということにまでは気がまわらないらしい。
星野管理官は、三階級うえの参事官にたいし、先刻とおなじセリフで打診をした。
定年まぢかの参事官は、温和な人物であった。星野としてはたすかった。それで、原の意向にそったというよりも、かれにたいする軽蔑をこめた無視というきもちで、原刑事部長の愚劣セリフを省略して、参事官に具申したのである。
そのじつ、要人警護強化の必要性をかんじていた参事官は、現場からの依願もあって早速うごいたのだった、上司の軽薄にグチをこぼすこともなく。
それはそうと…、日本の警察、ことに上層部には辛辣であったが、存在意義までを全否定するつもりはない。
むしろぎゃくで、国民の生命や財産をまもってもらいたいと、叱咤激励しているのである。
さて、各部はそれぞれのもち場で、とうぜんのことながら、すでにうごいていたのだった。
まずは公安部。守備範囲であるテロ集団や国家転覆をはかる組織への、さいどの調査からはじめていた。可能なかぎりの組織力と機動力で、不穏なうごきをしている集団がいないか、情報あつめに、いやまして奔走していた。
いっぽう原刑事部長はというと、かげで推移をきにしていた。テリトリーが公安とかぶったことが過去に何度もあり、敵愾心をもっていたからだ。
他方、組織犯罪対策部(丸暴とよばれた旧捜査四課)も、暴力団のなかに曲々(まがまが)しいうごきをしているヤカラがいないか、まずは情報屋全員をしぼりあげていたのである。
しかし、どちらもまったくのカラ振りにおわったのだった。
資金に窮しているのか、人材不足なのか、蠢(うごめ)いているテロ集団などなかったのである。
それは暴力団もどうようだった。マイナンバー制度導入では資金面で、さらに約一年前に施行されたいわゆる暴力団非合法化法により完膚なきまでに弱体化し、警察を、完璧なまでに敵にまわす要人暗殺など毛筋もかんがえられないくらい、おとなしくなってしまっていたのだ。
どちらの部署も、こんかいの特別捜査によって、それぞれが日ごろからマークしなければならないヤカラの実態を、知りえたのがいちばんの収穫であった。
いっぽう、要人警護を任務とする警備部は、つうじょうの守備範囲である総理大臣以下全閣僚や両院議長、各党党首等の警護にあたっていた。
そんなさなかでの事件だっただけに、警備部長は守衛強化の方途に頭をなやましていた。人員に余裕があるわけではない由による。
そこへ他部署の参事官から、つぎの事件を未然にふせぎたい旨の懇請があったわけだが、上記の理由により、ことはかんたんではなかった。
しかたなく、警視副総監に警備部として、他部署から人員をさいてもらえるよう請願したのである。
さっそく、交通部を中心にじんいんの補充があった。緊急の特別措置としてだ。
それはいいとしてもんだいは、狙われるつぎがいるとして、それがだれでどんな手段なのか、つまりはだれをどう警護すればいいのか、まるで雲をつかむような話だったことである。
具体的には、現総理大臣以下各大臣などへのSP体制を強化すべきか、場壁元首相が総理だった時代の元閣僚を警護するのか、歴代の総理をたいしょうにすべきかで、検討にはいったのだった。
しかし、結論はでなかった。
そこで、指揮をとる警備部長に一任されたのである。
妙案にないかれは安全策をとり、上記の検討案を網羅することにした。
その肚は、責任のがれにあった。ひとつに絞ってあてがはずれた結果にたいする追及をおそれたのである。結句、ふじゅうぶんな警備になることはさけられなかった。
それでも、配備された担当官は精一杯はたらいたのだった。
しかしながら…、犯人は狡知であった。
捜査本部をたちあげて一週間。
にもかかわらず捜査はすでに停滞してしまい、光明を見いだせそうな気配すらなかった。これはといえる有力な目撃者の不在も、因のひとつであろう。
のみならず、星野が不安視し矢野もとうしょから案じていた、銃による捜査がいきづまってしまったためでもある。
死体から摘出した弾丸の線条痕(ライフルマーク)だが、ほかと対比できるような特徴がなかったからだ。先述した大量生産タイプのコールドハンマーリング製法の銃が、捜査にわざわいしたのである。
おそらく犯人は、遺留品というだけではなく、証拠物件でもある銃弾から足がつかないように、大量生産タイプの銃をチョイスしたのであろう。
それでも帳場はだ、犯人がいかに奸智であろうともと…、捜査を粛々とすすめた。
そのかいあって、五カ所の銃砲店において同タイプの銃を、ここ三年のあいだに購入した人物がいたことを突きとめた。むろん購入者は、それぞれ別々である。
またそれよりも早く、凶器と同タイプの銃を、いぜんから所持している被許可者の存在をわりだしていた。
被許可者の氏名と住所等だが、かれらからの届けでをうけつけるのは、各人の住所地を管轄する各警察署であり、おのおのの生活安全課がその名簿を管理している。
そこで警察庁が、警視庁だけでなく首都圏の各県警本部に要請したのだ、同タイプの銃の所有者名簿のコピーを、捜査本部に提出するようにと。
数時間後には、該当者の住所氏名等を記載した書類がファックスでとどいた。合計で、十五人だった。
さっそく捜査員が選抜され、各人の自宅におもむいたのである。
凶器と同タイプの銃をあずかるまえにまず、原が指示したとおり、法により設置が義務づけられている銃保管設備の点検から、かれらははじめた。
けっか、法令を遵守(じゅんしゅ)(法などを守りしたがうこと)した堅固な保管設備を設置しており、いずれも問題はなく、施錠後のキーの保管にも疑義をはさむ余地はなかった。また、鍵穴にキズなどなく、鍵を壊された形跡もなかった。
各担当班から、帳場はそう、報告をうけたのだった。
ところで保管設備を点検したのは(銃所持被許可者が犯人だったばあいは不要なのだが)、ねんのため、盗難の可能性も確認するひつようがあったからだ。
おかげではっきりしたことは、犯人がぬすんで犯行にしようしたあと元にもどしておいた形跡はないということである。
並行して、十五人の各アリバイもしらべたのだった。
日曜の深夜だけにいえにいたと主張し、家人も異口同音にそう証言した。家族だけにとうぜん、信憑性のもんだいはある。
さりとて疑うにたる理由…そのだいいちが動機であることは論をまたないが、それも後日の捜査ではっきりしたのだが、全員にそれらしいのはなかったのだった。
狩猟の時期にまだはいったばかりだったからか、同種のライフル銃からの硝煙反応もでなかったのである。これこそが重要な事実であった。
さらには、猟銃所持許可証も、各人隔三年更新のものを取得していた。
これらを総合的にはんだんし、あやしい人間はいないということに帰結したのだった。
こうなると犯人は、闇サイトをりようしての購入の可能性がたかいということに。
だが、それを追うことはできなかった。既述したとおりである。
こんな手づまりのなか、捜査当局の稚拙ぶりを嘲笑うかのように、つぎの犠牲者がでたのである。
与党国民党の元幹事長である、岩見恒夫の爆殺だ。
地元後援会会長から事務所にとどいた荷物をあけた瞬間、惨事はおきたのである。負傷者をのぞき、岩見と秘書や事務員の計五人が即死したのだった。
死者のおおさからもわかるように、かなり強力な爆発物であった。
しかも、2013年四月十五日におきたボストン・マラソン爆発事件を模倣したのか、爆発物をおさめた木箱のなかに無数のクギもいれてあった。
標的については、手口がちがうこともあり、いまの段階での断定はさけるべきだが、おそらくは政治家岩見であろう。かれをかくじつに殺害したい…と。クギは、その殺傷力を高めるためだったにちがいない。
そこから、犯人の執念を、矢野はかんじとった。
事務所のひと部屋が木端微塵となってしまったことからも、その凄まじさがわかろうというものだ。音響もただごとではなく、永田町のとあるビルの十階に事務所をかまえていたのだが、そこを中心にすくなくとも半径二百五十メートルに、爆音がなり響いたのである。
とうぜんのこと、同ビルにどうじにおこった阿鼻叫喚だが、しばらくは収拾がつかなかった。
くわえて、けたたましい火災警報がいっそう、逃げ惑う人々をパニクらせてしまった。
それで、重症者たちの救急搬送の支障になったほどであった。まさに、ごった返していたということだ。
爆破直後にしらせをうけた機動捜査隊とすこしおくれての鑑識が到着したとき、スプリンクラーはすでに作動を停止しており、あちこちで書類ファイルや書物、それにテーブルなどがすこしだが、まだ燻ぶっていた。火事場独特のキナ臭さが、かれらの鼻を圧したのである。
さて、この情報が飛びこんできたのは十二月二十七日(土)、八度目の捜査会議がはじまる間際の午後九時半だった。
この日は岩見の誕生日で、事務所での誕生日パーティは、毎年の恒例行事であった。
通年、本会議も党の行事もない年末であるおかげで、本人が出席することはまちがいなかった。それを狙ったのだろうと、妻と秘書たちは駆けつけた機動捜査員にそう証言したのである。
とはいえ、岩見をねらったと断定できるだけの確証は、せいかくを期するならば、まだなかった。マスコミにたいしての姿勢もそうであった。
そうではあるが、庁内はむろん騒然などの表現ですむはずもなく、巷は巷で、巻きぞえをくうことをおそれる声で、にわかにかまびすしく…。
嗚呼。星野や矢野が危惧していた連続殺人の可能性。
それがおそらくは現実のものとなったいま、ふたつの事件からかれらが導きだしたあたりまえの帰結……与党の実力者政治家殺害が犯人の目的だと。
すると、これでおわりという保証はどこにもない、となる。
むしろ、序章でしかないとしたら…?それこそをかれらは、数日来おそれもし、頭をなやませてもいたのである。
「テロ行為だ!」としたうえで、その目的が政治的理由からだろうとの憶測は、被害者が大物政治家であることからまちがいないだろうと。しかし、だからといって、具体的な動機にまでは、いまだ行き着かないもどかしさをふたりは同時にかんじていた。
独善的な宗教者がとく人道上においては、そんな想念こそは不吉だとして、ひかえるべきと苦言を呈するかもしれない。
が、かれらは警察官だ。つぎの標的が殺されるまえに、すべての能力を犯人逮捕に、いや、すくなくともつぎの標的割りだしにつとめ、なんとしてでも阻止しなければならないと。杞憂でおわるならば、それでいいわけだから。
もんだいは畏るべし、つぎもおきるとして、だが、標的が与党の大物政治家なのか、それともべつの括(くく)りに該当する人物なのか。だが見当をつけようにも、データが不足しているということだ。
こんな状況下、ふたつの事件にたいし一部に異見もあったが、連続殺人事件として翌早朝、合同捜査本部をたちあげることとなった。
ところで異見についてだが、たしかに一理あった。
犯行声明はなく、殺害手口もことなることから、連続ときめてかかるのはどうかとの少数意見だ。さらに、模倣犯である可能性も無視できないとの意見もでた。
それでも与党の大物政治家の殺害、時期的にちかいこと、および三人目がでれば警察の威信にかかわるなどを理由に、警視総監がじぶんの責任においてと、ふたつの事件をむすびつけたのである。
場壁殺害事件の捜査会議を中止した原は、初動捜査にあたった機動捜査員(現場保全もかれらの任務)をよびつけるとともに、まずは岩見恒夫の近辺、肉親やごく軽症だった秘書・事務員などへの事情聴取を、てわけして開始させたのだった。
ひとり数分ならばということで、治療後に、医師の許可がおりた。
鑑識は、粉々になった爆発物遺留品を、時間をかけておおかた回収すると、科捜研にもちこんだ。おおかたというのは、遺体や負傷者のからだに刺さったクギを、現場では回収できなかったからだ。
爆発時刻は、パーティのとちゅうの午後九時二十三分ごろ。祝誕生日パーティにおけるひととおりの慣行がすみ、贈りもののお披露目がはじまった直後であった。
地元後援会会長からということで、参加者ぜんいんの拍手のあと、横三十五センチ、縦二十五センチ、高さ二十五センチほど(幸運にも軽症ですんだ秘書の記憶による)の木箱をあけた瞬間、爆発したのだった。
その報告をきき、星野・矢野ともにこのときも一致した推測をした。が、べつに話しあったわけではない。話しあわずとも通じあうのだ。阿吽の呼吸というやつである。
じじつ、藍出や和田などの部下は、ふたりを“阿吽のコンビ”と呼称している。また、互いがおなじ見解をもっただろうと、ふたりはともにそう推察していた。
その1 時限装置をつかって爆発させたのではないであろう。依頼者による届けさきへの配達だが、せいかくな時間指定のできない宅配便をつかったとわかったからだ。だいいちヘタな時間にセットすれば、岩見殺害という目的(くどいようだが、証拠から、そうと断定されたわけではない)をはたせずに爆発する事態がおきてしまう。
ということは、爆発により世間をさわがせたいとねがう模倣犯や社会的恐怖心をあおるのが目的のテロではなく、岩見恒夫をねらったテロとの、ごく自然な見解をふたりはとったということだ。
ただし、明確な動機まではまだ推測できないでいた。
その2 箱をあけたときに起爆装置がはたらくタイプであろう。プロパガンダ的意味あいもある政治家の誕生パーティなら、プレゼントの品々をあけて中身を披露することもおおいにありうる。もしそうはしなかったとしても、いざ選挙となればもっともたよりになる地元後援会会長からの贈りものにかぎってはお披露目しただろうし、そのとき、主役の岩見がすぐちかくにいる可能性も相当にたかくなろう。というより、主役なしの披露はかんがえられない。
よって、爆破の規模からさっし、この手法でなら確実に目的をはたせたはずだ。
翌夜、初となる合同捜査会議における、鑑識と科捜研合同の報告(あとかたもなく吹きとんでいたので仮説をふくまざるをえなかった)が、おおむね裏づけた。
木箱のふたにとりつけられたワイヤーが、ふたをあけると同時にひっぱられ、爆発物の起爆装置のスイッチがはいるという、単純なしかけだったと。
くわえて、箱のおおきさと爆発の威力から、爆薬の種類をTNT火薬だと推定できるとした。
具体的には、木箱のなかにアルミ製のうすい箱がおさめられており、その中身は爆発物と起爆装置と無数の五寸クギであったと、回収物から推して、ほぼ確実だと自信をみせた。
つづいて、TNT火薬や起爆装置の製造だが、高校の教科書ていどの化学的および物理学的知識をゆうする人間が製造法をおしえる裏サイトをみれば、慎重さが欠如しないかぎり可能だと、これも科捜研担当者の意見として。
慎重さとは、製造工程で爆発をおこさせないためにもひつようだと。
その、TNT火薬や起爆装置の材料だが、ホームセンターのような量販店でおおくをかうことができ、たとえ手にはいらないものでも、裏サイトでなら購入が可能だと後日わかった。
知能犯らしく、これも、捜査を進展させないための犯人のやり口ではないか。証拠をのこさない巧妙さのなせる業(わざ)ではないか?と。
それは、爆破とそのあとにおこる火災焼失で、配送物の木箱やその中身および包装紙などからは、指紋も届けさき記入欄の筆跡もとれる状況になかったこともさしている。
…そう矢野、ここまでかんがえて、イヤな予感がよぎった。
犯人は、捜査の糸口すらのこさない狡知なやり口を、徹底させているかもしれないと。それが矢野のひらめいきと同一のやり口であったならば、捜査はまちがいなく停滞する。
そうではないことをねがうばかりだが、はやりここは、最強の犯人とみて対処すべきだ。でなければ遺漏(手抜かり)はさけられない。強大な警察力をもってしても足をすくわれるだろうと。
暗鬼(妄想がひきおこす恐れや疑い)からではない。が、やはり瑕疵(ミス)や粗放をさけんとすれば、頭をかかえたくなる問題点がふたつでてくる。
遺留物から、指紋やDNAなどを検出できないであろう。
となるとそれらから、犯人を追うことは実質不可能であり、また、爆薬製造用の薬品や器具の入手経路などの捜査は茫漠としすぎていて、困難をきわめるだろうと。
さらには犯人による裏サイト利用の痕跡、それを追跡しようにもしゅだんがない点も、である。
犯人がつかったパソコン、それが自前ではなく、たとえばネットカフェのパソコンであったとしてもかまわないのだが、とにかく特定ができ、さらに押収もできれば道はおおきくひらけるであろう。
しかし、それらしい被疑者すら浮かびあがってこない現状では、そのパソコンに遭遇はおろか、接近すらもかなわないにちがいない。
翌朝いちばんで、地取り班が二十人態勢でくまれた。
被害者家族・あやうく難をのがれたふたりの秘書・訊きこみが可能な軽症の事務員たち、および宅配業者への聴取をまかされたデカたちがふたり一組で十班にわかれたのである。
どうじに、宅配会社と地元後援会事務所には、家宅捜索がなされた。
ちなみに“大物政治家連続殺害事件”であってはこまる原部長、つまり事件が政治がらみでしかもこれ以上おおごとになってほしくない(アジアや欧米各国がニュースとしてとりあげるほどに、じゅうぶんに驚天動地な大事件なのだが)出世主義者のかれは、――単純な誤配か、どこかでまちがって配送物が入れかわった、であってくれ――とただひたすらねがっている。
が、かれにかぎっては、真剣であればあるほど、はた目にはコッケイにうつった。
たとえ連続殺人ではなかったとしても、捜査に進展をみこめない現況がつづけば、おおきな汚点となる、くらいは、だれであっても想像にかたくない。
――そうなったとき、詰め腹をきらされるのはじぶんだ――それをおそれているのである。
できればなにかをきっかけに犯人が逮捕され(別件の被疑者がゲロするケースがたまにあることに期待)、自身はめでたくつぎへと昇進する、ただそれだけなのだ。
しかし誤配ではないことが、配送会社の東京集積センターへの訊きこみ、および奇跡的にかすり傷ですんだ秘書からのききとりでわかった。
この秘書へのききとりは、脳波検査などで異常がでなかったことから事件の翌日、それは宅配会社への事情聴取や二カ所の家宅捜索の三時間後にあたるのだが、医者からの正式な許可がでたよしによる。
また、東京集積センターでの訊きこみにより、配送さきはまちがいなく岩見恒夫事務所、とうぜん、その所在地もあっていたことを確認したのである。
原のうすっぺらな希望的誤配送説は、完膚なきまでにたたきのめされてしまったのだった。
忖度(そんたく)(相手のおもいをおしはかる)しつつも、原の肚づもりなどはどうでもいい部下の星野管理官が、爆発物を荷物としてあつかった運送会社と岩見事務所に届けた従業員にたいし、暖房のきいたデカ部屋で仮眠をとっただけの捜査員をむかわせたのである。
一班をまず、従業員が勤務につきだす、翌日の午前八時まえに着かせたのだった。
睡眠不足ぎみのあたまを、濃いめのブラックで覚醒させた捜査員たちは、犯人の氏名・住所だけでなく指紋や筆跡までもが手にはいると、たかをくくっていた。
しかしながら、物証として提出させた配送伝票ではあったが、それからはなにもゲットできなかったのだ。
ここでも犯人に、みごとにしてやられてしまったということに。矢野のひらめきどおり、犯人による狡知なやり口がなされていたからだ。
じつは、配送依頼をうけたのがちいさなクリーニング店で、気のいい店主が、配送伝票への記入事項を代筆したというのである。
右手親指を痛めているので、書くのがつらいからと、たのまれたらしいのだ。
つまりだ、犯人はそのとき、ニセの氏名と住所をかかせただけでなく、指紋や筆跡ものこさない工夫までしていたのである。
また、個人経営のクリーニング店をチョイスしたのも、そこには防犯カメラが設置されていなかったからであろう。
まったくもって抜かりのないやつと、捜査員は舌をまいたのだった。
ところで、事件関係者である配送会社従業員の事情聴取にあたった捜査員は、配送員をとうぜん被疑者のひとりにあげていた。
それで、配送コースをきめる責任者にも、当日のルートをかくにんしたのである。
各配送員はGPSとパソコンで管理され、きめられたコースどおりか、あるいは食事休憩以外でサボっていないかを、会社側が地図でかくにんできるシステムとなっていた。
その記録をみせてもらったうえで、星野のしじどおり、これには藍出があたったのだった。
ちなみに藍出について。じぶんは矢野警部の、一番弟子と自負している。それだけに、矢野流捜査法を、あるていど踏襲しつつある。
そのかれが、入念な事情聴取をした。
だが捜査員たちの期待にはんし、とうじつの勤務前から終了後においても不審な行動はなかったと、責任者は断言したのである。
ねんのため、ふたりの携帯もしらべた。頻繁に連絡をとりあっていれば犯行グループの仲間ともかんがえられる。が、そんな事実もなかった。
翌日の、通話とメールの履歴調査からも、不審をいだかせる記録はみあたらず、たんなる上司と部下の関係でしかないことが確認された。
つまるところ、地元後援会会長からの贈りものを、爆発物にすりかえる工作は、当配送員ではできないとの判断を、帳場(捜査本部)はくだしたのだった。
そのりゆうを詳述すると、
当該配送会社の東京集積センターにいったんあつめられた荷物は、そこでこまかく区分けされ、最終の各地域配送担当の事業所に、まずはとどけられる。
そして、差出人の素性などしるよしもない荷物を、配達員ははじめて、指定場所へおおまかな指定時間枠内に配達するようにと、しじされるのである。
つまり、岩見事務所に後援会からの荷物をおくりとどける依頼がきたことを、当配達員はしたがって、事前にはしりようがないということだ。
これでは、工作のしようがない。
それでもあえて、担当エリア内の岩見事務所に、いつ依頼があってもいいようにとあらかじめ爆発物を用意しておいたとしよう。
だがそれを、どこに隠しておけるだろうか。
まずは職場の、じぶん専用のロッカーにだったとしよう。
勤務直前、それをもちだして配送用トラックの助手席においたばあいだが、同僚がいるなかでの不審な行動、いかにも目立つではないか。
仕事にはかんけいのない個人の荷物を、なぜ会社の車にはこびこむのかと。
犯罪者心理として、目撃者に不審をいだかせるバカはしない。のちのち、疑惑をまねくからだ。
では、岩見事務所のちかくに爆発物をかくしておいたのだろうか。
岩見事務所への配送頻度はかなりたかかったろうと察せられる。歳暮の時期をすぎていたとはいえ、贈りものなどのとどけものは、頻繁にあったであろう。
だったとしても永田町界隈にて、おき場にてきするところなど存在しない。危険な爆発物を、ぬすまれることなく安全に保管できるとしたら、駅のコインロッカーくらいか。
しかし…、配達員は、きめられた経路と時間枠指定のスケジュールにしたがい配ってまわらねばならず、これがけっこう分刻みという時間とのたたかいなのだ。
そのうえで、道路の渋滞や留守宅があったりすれば、そこでいらん時間をくうことになる。当日のルートにはなかった駅のコインロッカーまでいこうにも、駅周辺での駐車は困難だし、なんとかそれをこなしたとしても、コインロッカーとのあいだを往復する時間的余裕もない。
藍出はそのへんも、ぬかりなくしらべた。
監視のためなのだが、トラックにはGPSがとりつけてあり、それによると、コースをはずれたという記録はのこっていなかった。
それでも、動機についてしらべないわけにはいかない。もしあれば、べつの捜査や手段を検討する必要がでてくるからだ。
だが、捜査員の足をつかれさせただけで、岩見にたいする個人的恨みや悲憤をみいだすことはできなかったのである。ねんのための、場壁にたいしてもだが、同様であった。
しこうして、勤務歴三年目の三十代の契約社員にうたがわしい点は、すこしもなかったのである。
原にとって、有力な被疑者候補がひとりきえたのだった。犯人逮捕にはやる原部長は、この件のみずからの断にたいし、内実では落胆していた。
だが矢野は、これをまずは進展とおもった。さらには、よきかなとも。誤認逮捕しなくてすんだからだ。
一般的にいって、普通ならないことではあるが、もしものときは、大変ではすまない事態となる。誤認逮捕がもたらすこと。ざっと、こうだ。
逮捕されたというだけで、まだ起訴もされていないのに、もっといえば有罪判決を受けてもいない推定無罪のだんかいなのに、世間は犯罪者あつかいをし、つまるところ、そのひとは社会的に抹殺されてしまうのだ。
後日、冤罪と判明しても、もはやとりかえしがつかない。
ゆえに、矢野はタイホには慎重を期してきた。冤罪の基(もとい)となる誤認逮捕をおかすよりは、犯人を逮捕できずにお宮入させるほうがまだましとおもっているくらいなのだ。
むろん、犯人が野放しになったせいで最悪、あらたな犯罪被害者をうむ危険をはらんでしまう。それをかんがえると、お宮入させるほうがまだましというのはたしかに苦汁の選択となるのだが。
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