さて、既述したとおり、狙撃現場の特定についてだが、銃も薬莢ものこされていなかった。さらに、星野と矢野は想定していたのだが、指紋も検出できなかった。
くわうるに、ほこりにまみれていない体毛、もしそれがおちていたならば、ふだんは施錠されていた屋上のゆえに、さいきんのものと推定できるのだが、鑑識の労作業にもかかわらず、ついに発見することはできなかった。
余談だが、検出されたほこりまみれの体毛、それは古いもので、事件に無関係とみてまちがいない。
それでもばしょを断定できたのは、屋上にあがる階段のカギがこわされていたことと、発射残渣を検出したからだ。この月曜は終日、かすかの雨雪もふらなかったおかげである。
それはそうと、硝煙反応だけが決定的な痕跡だったわけだが、犯人は、狙撃現場をしられてもかまわない、つまりそれでじぶんに警察がせまってくる心配はない、狙撃者はそうふんだにちがいないとふたりは、犯人の肚を忖度したのである。
さらには狙撃現場のビルについて。
着弾地から道路をはさんで直線距離で約31メートルの、築四十年はたとうかというふるい雑居ビルだったせいか、出入りぐちに防犯カメラは設置されていなかった。
上記のように、痕跡を最小限にした犯人のことだ。
標的をとらえやすく、しかも防犯カメラもないというような、犯行にてきした物件をじぜんに物色していた可能性がたかい。
だとすると、うたがう余地のない計画犯罪となる。メンがわれないように、サングラス等を用意し装着していたことからも、それはうかがえよう。
つまり標的だが、だれでもよかった、で、たまたまだったではなく、元総理にねらいをさだめての狙撃とみるべきだと。
でもって、犯罪者プロファイリングをこころみるなか、材料にとぼしい矢野にとってもっとも腹だたしかったのは、捜査はこんめいすると予感させられたことだ。
どうじに犯人にたいし、感心もした。狙撃の腕前にというよりもむしろ、プロ級といえる銃のあつかいにだ。
タクシーからおりた直後をねらって、一発で仕とめているのだから。標的との距離がみじかいとはいえ、実際にやってみたらわかること(なんて、ムチャぶり)だが、短時間で、その頭をかんたんに撃ちぬけるものではない。
とうぜんながら、万全の下準備もなされていたとのことは、いうまでもない。
それに、現場周辺で銃声をきいたとの情報が、三日間かけた地取りでもえられなかった。そのわけならかんたんで、サイレンサ―を使用したからだと断定していいのではないか。
ただし、消音目的のサイレンサー使用は銃刀法に抵触するいじょう、実銃に取りつけるためのサイレンサーを正規で入手するのはひじょうに困難で、それをウラで取りあつかっている銃砲店がもしあったならば見つけだし、購入者がいれば、それが犯人の可能性大だとして事情聴取からアリバイ確認、証拠がためへと…。
この常套の段取りをへることができれば、逮捕にもちこめるかもしれない、だった。
そうかんがえるいっぽうで、ウラで取りあつかっている不心得業者が存在していたとしても、犯人は銃砲店では購入していないだろうと。
足がつきやすい、おろかな行動だからだ。
だが、それでもねんのため原が命じ、全店舗の協力という名目(拒否できるはずのない)のもと、捜索をなしたのである。
ちなみにこんな矛盾する思考のなか、試行錯誤しつつあたるのも、捜査というものがあらゆる可能性を視野にいれてなさねばならないからである。
こんかいのばあいだと、実銃に適合するサイレンサーをうる銃砲店などないだろうとして、まま放置すれば、捜査がいきづまったときに悔いるだけでなく、禍根をのこすことにもなる。
その銃砲店が犯行にじつは加担していて、つぎのおおきな事件にもかかわるかもしれないからだ。
ところで、捜査に一筋の光明すらも見いだせないなか、それでも矢野はさらに推測をかさねた。
周到なやつならばこそとうぜん、元首相の行動パターンを知悉していたであろうと。
ぎゃくにそのてんだけ、狙撃の手法に計画性がなかったとはかんがえられないからだ。犯人が当該狙撃現場をきめたのがたまたまここだった、なんて、ゼロではないにしろ、そんな可能性を主張するとしたら、そいつはどうかしている。
ならばとて、だれもがするごく必然的な推量のながれからつぎに考慮されるのが、ではどうやって場壁の行動パターンをしりえたのか、つまり4だ。
可能性のひとつに、ブログやツイッタ―があげられた。
おかげで、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を検索する班もいそがしくなった。結果、
やはりというべきか、元首相もだったのだが、政治家ならねこも杓子ものブログサービスを活用していたとわかった。むろん、選挙運動の一環だ。開設した日づけから推して、首相を辞任し一政治家にもどったときからはじめたようだ、
強引な政治手法の首相時代がまるでウソのよう、ひとがかわったように、国民の目線を意識しだしたのだ。発足当初から一年強は有権者の圧倒的支持をほこっていた政権だったが、“特別国家秘密保護法案”や他の法案の提出などを機に不支持率が55%をこえ、強行採決による可決成立で支持率は一割台にまでおちこみ、ついには、世論のうねりから退陣に追いこまれたのだった。それがよほどにこたえたのかもしれない。
そんな裏事情などかんけいない担当捜査員たちは、八年にわたるブログを一文一句見のがさないようにしてよんでいった。それがいかにたいへんだったか。
しかしとうぜんのこととはいえ、オフの時間帯の行動、ことによるのお忍び(殺害後のことだが、さっそく、出版社系週刊誌がこぞっておもしろおかしく取りあげたのだった)にかんしての公表はしていなかった。
蛇足だが、女性票をうしないかねない愚をおかすはずないからだ。
ということは、犯人はSNSから情報をえたわけではないとなる。
いっぽうで、元首相を誹謗中傷、さらには罵倒する書きこみなども存在していた。
週刊誌などからの情報をもとにしているのだろうが、これも、かれの下半身のだらしなさにたいする攻撃はしているものの(ハンドルネームから推するにおおくは女性の書きこみであろうが)、お相手女性の名前やオフの時間帯の行動など具体性のある記述は見あたらなかった。まして犯行を示唆しているものなどまったくなかったのである。
あそびの範疇をでない誹謗中傷ごっこと、捜査本部はかいした。
ところで、ウラで取りあつかっている銃砲店だが、やはりなかった。
サイレンサーそのものが、店舗の存亡にかかわる危険をおかすほどに高価ではないというのも、りゆうのひとつだろう。
犯人は、闇サイトで仕入れたか、海外から違法にもちこんだのであろう。
いずれにしろ、入手経路から犯人にせまる捜査、あきらめざるをえないということだ。
可能性がつぎつぎときえていったことは前進とみていいわけだが、それにしても港区白金台にある場壁の自宅や千代田区永田町にほどちかい個人事務所からはなれた地(けっかとして殺害現場になったわけだが、ばしょは中野区内JR中央線東中野駅から徒歩十数分)にての単独行動…それを捜査本部としても、看過はできるはずもない、
たしかに、下世話な週刊誌の憶測によるよるのお忍びだったと仮定し、その具体を犯人がしっていたとなると、やはりみぢかな人間だからか。
星野以下は、まさかとはおもったがまずは身内、つぎに殺意をもつ可能性がまだすくない地元後援会、そしてしだいに高くなっていく事務員や秘書等、…さいごは愛人と、その全員に眼をむけざるをえなかった。
かといって、週刊誌の憶測にまどわされたわけではない。だが一考すべきはやはり、撃たれたのが縁のない、また選挙区でもない地であり、深夜であったということだ。
元首相という社会的立場や資産をもつおとこが、夜中に秘書も随行させずうろつくばあい、愛人に会いにいったからとみていいのではないか。発覚をさけるためであることは言をまたない。
やはり、現場ちかくに女性をかこっているのではないかと。
そしてこの、矢野たちのとうぜんの推測はあたっていた。はじめは“しらぬ存ぜぬ”をとおしていた公設第一秘書の片山だったが、矢野のたくみな誘導に、抗しきれず白状したのだった。
やはり、元首相が撃たれたばしょからほどちかいマンションの一室に、もんだいの女性はすんでいたのである。
星野から命をうけた矢野はさっそくその住所におもむいた。
入室後すぐに目についたのが、わかい女性には不似合いの仏壇であった。そのなかに、四十代半ばとおぼしき女性の遺影がおかれていた。しかしそのことにはふれず、事情聴取をかいしした。
愛人の泣きはらした瞼がものがたる憶測もいまはころし、事務的に名前や年齢などをきいたあと、「であった経緯(いきさつ)についておしえてください」犯人につながる人間関係がうかびあがるかもしれないからだ。
それともうひとつ。片山から探りだしたかのじょの情報とを比較し、ウソがないか確認するためでもあった。
小林晴香、二十六歳と名のった女性がきえいりそうな声でこたえたところによると、場壁が常連だった銀座のクラブで二十歳からホステスとしてはたらきだし、三年まえにいわば見そめられたとのことだった。
ホステスのまえはOLであった。が、病弱な母親の入院費や手術代をかせぐための転職であった。甲斐なくそのははも他界し、いまは天涯孤独だという
この質問からではざんねんながら、犯人につながる人間関係はうかびあがってこなかった。
片山は優秀な秘書らしく、場壁が愛人にするまえに、素性を調査していた。転職のりゆうも事実であった。
そのあたりの情報もふくめ、矢野はたくみにききだしていたのである。
かれはここで、単刀直入な質問へうつった。「このすまいの所番地や、被害者とあなたとのかんけいをしっているひとに心当たりありませんか」元首相とはいえ、矢野には特別あつかいするつもりはさらさらなかった。
生前のたちばはどうあれ、おなじ人間であり、尊い命の重さはひとしいとおもっているからだ。それで肩書はつけず、“被害者”とだけいったのである。
寸毫(ほんのすこし)、美形がゆがんだ。じぶんのようなたちばの女、この刑事にはけがらわしくみえるだろう。そうおもったとたん、含羞(恥じらい)のいろが顔をみたした。
二枚目俳優の風間トオル三十五歳時と見まごうほどに矢野の見栄えがすぐれていたせいか、かのじょは寸秒、返答をためらった。
「先生より年上の奥様もわたしの存在をみとめておられたときいております。くわえて、公設第一秘書の片山さんやあと数人は…」と、まつ毛をこまかく震わしながら、力ないこえで正直にのべた。
「ここへの訪問日はきまっていたのですか」
「はい、いつもきまって日曜日の深夜零時半ごろです」たしょうのズレは道路事情によったということか。「いちばんひと通りがすくなくなる時間帯で」
顔をさすしんぱいを比較的しなくてすむからといっていたとのことだった。それでも帽子・メガネ・マスクを着用していたと。
被害にあったときもおそらくおなじようないでたちであったろうと、鑑識がとった現場写真を思いおこしながら矢野。それはいまおもえば、場壁がうたれた直後に衝撃でどちらもとばされ路面におちたのであろう、サングラスと帽子が、そういえばうつっていた。
サングラスは被害者の足下から30~40センチほどの歩道に、帽子は1メートルほどはなれて。ただし、現場をみた時点では、被害者の持ちものだと特定できていなかった。落としものの可能性もあるからだ。翌日、鑑識が両方とも指紋で確認したのである。
じじつをしったその時点でおもったことだが、ならば変装するとしらなければ犯人は、元首相と確信できなかったであろうと。ぎゃくをいえば、たとえ顔をかくしていても定期的だった訪問をしっていれば、ねらいを定めること、プロならばむずかしい仕事ではなかったはずだ。
さらにかんじたこと。ここまでの供述にウソはない、であった。
「つらい質問ばかりでもうしわけありませんが」矢野は、このじょせいが犯人である可能性はきわめて低いとみた。実行犯はもちろんのこと、狙撃犯への依頼主としてもである。
かなしんでいるすがたにウソはないだろう、などというような根拠薄弱な理由にはよらない。
よほどのバカでないかぎり、じぶんからはできるだけ離れたばしょを狙撃地にえらぶだろうからである。じじつ、近かったせいで、さっそくデカの襲来となったくらいだ。そして、こうなることくらいは想定できたであろう。
なぜなら警察として、被害者の日曜よるの行動をしる人間を事情聴取しないわけにはいかないのだから。
かりに事件が日中であったならば、場壁のスケジュールをしりうる領域から晴香ははずれるだろうが。
なぜなら一週間にいちどしかあえない、しかも政治にたずさわっていない愛人に、場壁が政治家としての日程をおしえるとはかんがえにくいからだ。だいいち、場壁じしんが重要な日程以外を事前にしっていたともおもえない。秘書まかせにしていたのではないだろうか。そこで、片山に電話で確認した。おもったとおりだった。
いっぽう、かのじょがおろかでないことも垣間見えた。質問にたいし、ムダのない適確なこたえをかえしてきたからだ。くわえて、論理的思考力もそなえていそうだとおもった。
そんなかのじょが犯人なら、やはりべつの場所をえらんだであろうし、そのための工夫、たとえば日曜日以外のスケジュールをしる手立てを、この女性ならばかんがえつくのではないかともおもった。じぶんの見立てを信じつつ、にもかかわらず、かのじょはなんの手立てもとっていないのだ。
それでもあえて晴香がもし犯人だとしたばあい、動機の有無はおいておくとして、場壁の行動を把握している日曜の深夜をしかたなく選んだとのかんがえを、さきほどのとは矛盾するが蒸しかえすしかない。だがそうだとしても、もんだいがある。
狙撃のうでを見こんだうえ、ふるまいまでが神出鬼没の、トップクラスのプロをやとうほどの資金をわかい晴香がはたして融通できるだろうか、だ。
愛人になるまえは高級クラブでホステスをしていたわけだから、同世代の女性とくらべれば収入は破格であったろう。しかしそのおおくを、ははおやの入院および治療費として費消していたはずである。
この憶測が正鵠(せいこく)を射ている(ズバリと正しい)か、確認する必要がでてきた。
――まあそれはそれとしても――ホステス業の支出も並たいていではない。
ほんらい、光のないよるを煌びやかにみせるための演出料は、それが夢幻であるぶん、よけいにかかってしまう。ざっとみて衣装代や装身具もだが、そのほかにも化粧や髪のセットなど、身をかざる装飾にとにかくいるのだ。でもって、化けるのである。
つまり、収入ほどには手元にのこらなかっただろうし、だいいちかのじょは、ホステス歴がみじかかった。となると、晴香にそれほどの蓄財があったとはおもえない。
蓄財の多寡にかんし把握すべく、病院名と母親のなまえをきいた。ついで、勤務していたクラブについての情報もえた。
クラブのママさんや当時の同僚のはなしから、おとなしくて控えめだったぶん、かえって人気があり、指名はおおかったとのこと。ただ、東京オリンピック20直後だったにもかかわらず、中国でクーデターがおき、世界経済のあしをおもいっきり引っぱった。でなければ、豪華なプレゼントや相当量のチップをもらえたであろうと。
そして翌日。さっそくははおやの件を調べたけっか、子宮から肝臓やすい臓へと転移した悪性腫瘍が、五十一歳の命をうばったのである。
仏壇内の遺影はむろんははおやのであった。余命半年という運命にあらがうように、娘はいのるおもいで保険適用外の最新医療も施術してもらった。がけっきょく、甲斐がなかったのである。気の毒としかいいようがない。
しかしながら憐れんでばかりもいられない。二十時間前の時空にもどすとしよう。
「とくべつな恨みをいだいていた人物に心当たりありませんか」“殺害動機となる”ということばを意図して頭につけなかった。いっそうの悲しみを呼びおこすだろうとかんがえてのことだ。こんなところにも矢野の優しさが、おもわず湧きいでるのである。
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