秘書が迎えにくるまでの思慮。最悪の事態からどうすればニ時間まえの順調な状況に戻せるか、そればっかりだ。しかし、=こっちから連絡するまえに、そろそろCEOから罵倒の電話がかかってくるやろう¬=との恐怖が小心のかれをビビらせていた。それでも、いまはうてるかぎりの策や手段を講じて、すて身で捲土重来(けんどちょうらい)(この場合、敗者が新規まき直しするの意)を期する覚悟、ではあった。
そのためには、とにかくドリーム号をとり返さなければ…。
いっぽう、激しい動揺のせいで、思索が右往左往するのをとめられない。このままでは、ナンバー4の“専務”だからといっても、ただですむはずがない。じぶんでも内心、監督不行届きは否めないとおもっている。首がとぶくらいならまだましで、最悪だと、民事訴訟で賠償請求されるかもしれない。むろん、はらえる金額をはるかに超過するだろう。
そう考えると、あすへの不安にたいする部下の切実な声などに頓着している場合では、まったくなくなった。わが身と大事な家族および財産をば、いまこそ、じぶんで守るしかないではないか、と。
地上五百メートルを飛行する車(このあとも登場する乗用飛行車)のなか、後部座席に身をゆだねながらすこしずつ冷静になれた。窓外の暗黒と静寂が神経を鎮める役割りをはたしてくれた。
そして到着までの数分間がときを刻むごとに、脳の、平静の領域をひろげていったのである。すると、やはりドリーム号はとり返せないとの厳しい現実を覚った。
悲しいことに、四面を敵に囲まれ敵側からながれてくる楚歌(項一族の故郷の歌)に完敗を身に染ませた項羽(秦王朝を滅亡させた稀代の武将)と照らしあわせ、じぶんも捲土重来は望めないだろう。つまりじぶんにこそ=未来がない!=のだ、と悟った。
しかし嘆いているばあいではない。泣いている余裕などどこにもないのだ。責任をつよく追及されると悟ったかれは、もはや自己防衛に思考を集中させたのだった。
もちろん、ホープ号を発射させることに変更はなかった。無為こそが最悪だからだ。
部下たちのまえに駆けつけるやいな、「ま、まさか、て、敵国に売りつけたんとちがうかっ!」と蒼白の顔で絶叫してみせた。みずからの責任を回避する、根まわしの一手をうったつもりで、だ。
彦原をスパイに仕立てあげ、それでじぶんを護ろうと決したのである。それでももはやすこしのやましさも感じなかった。=さきに裏切ったんは彦原のほうや!=と断じたのだった。
焦眉の急となった責任回避。そのためのおおきな関門、まずは、どうやって盗みだしたか?である。その究明は、主任たちにおしつけることにした。
つぎに、専務としてこの事態を阻止できなかった、となる責任問題。「それは不可抗力だったから」と理屈をこねて、いい逃れの強弁を尽くすべしとそうきめたのだった。
懇意にしている弁護士の顔がうかんだ。高いが有能で評判の辣腕に、あとのことは任せるしかない、そう腹をくくると、すこし余裕がでてきたのだった。
すでに記したが、社としては当然、宇宙船ごと盗もうとする犯罪も想定していた。だから、その防衛策として一分の隙もないといえるほどに万全なセキュリティシステムを敷いていたのだ。おかげでだれもが完璧と信じきれるシステムができあがったと自負していた。
しかしながら、まさに「プロジェクトそのもの」である彦原が盗むことだけは、その想定外、であった。
さらに、だ。あらゆることを想定し、社内外に監視の眼を怠らないCEOですら、全人格をふくめ彦原を信じきっていたではないかと。この論理を無理やりにでも推しすすめ、最終的には、だれびとにたいしてであれ、責任を全面的に転嫁すると、恥を捨てて決したのである。
たしかに十一年におよぶ彦原の精勤ぶりは別格で、これにより暗黙の絶対的信用を、CEOならずとも懐いたのは間違いなかった。だからまったくの無防備状態となってしまったのだ。
その彦原がこの盲点を突いたように、専務も盲点をぎゃくに利用することにしたのである。
しかしながらいくら異常事態とはいえ、いままでの専務ならこんな策はもちいなかったであろう。最悪の事態に混乱し、人間性に異常をきたしてしまったからか。
たしかに、上下・前後への深謀もなく、ことを急(せ)いてしまっていた。地獄が危急の存在となり、いままで身に纏(まと)っていた虚飾が剥(は)がれ落ちたのかもしれない。ということは、本来の地金がでたということか。
いっぽうの部下たちは、日ごろ接する彦原の実直そのものの人間性から、売国行為などするはずないと信じきっていた。がだれも、それを口にはしなかった。もはや地上には存在せず、最近の彦原のようすから、あるいは帰還しないかもしれないと思ったものもいた。となると、弁護はすでに意味をもたないからだ。
あるいは弁護に由り、協力者とみなされることを恐れたのである。だが大半は混乱と動揺で、平静の思考ができる状態ではなかったのだった。
とはいえ、かれらは結局裏切られたのである。
弁護はさすがにと、否定的なものもいた。それでもだれひとり、すぐさまの恨みごとまでは思い浮かばなかった。昨夜まではまちがいなく最高の上司だったし、ふだんは、それほどに目をかけよくしてくれたからだ。
はじめ、専務が信じなかったように、話を聞いただけであれば、またこの場にこなければ信じなかっただろうし、いまでも信じたくないおもいは一様だった。
悶々と、心の整理をだれもつけられないでいるとき、彦原に好意以上の気持ちを懐いていた入社二年目の女性研究員が、じぶん宛ての手紙をみなのまえで読みあげはじめた。文面のとらえ方はさまざまだろうが、すなおに解釈すれば、自供とも読めた。
ここで、一時間ほど時計をもどす。
かれらは念のため、ことの顛末をきいた順に、連絡がとれるところにいるかもしれないとスマフォにかけたり、社に到着した順に広大な研究所内を大声で呼ばわりながらトイレにまで探しにいったものもいた、上司は気絶させられていると信じながら。さらには、彦原の自宅に一番近い研究員にいたってはさきにかれの家に寄り道し、留守を確認してからきたのだった。専務の家に入電するまえに、たがいのスマフォで連絡をとりながら動いたのである。副所長室へ真っ先にはしったのは、想いを寄せるかのじょだった。
そこで、それぞれに宛てた手紙をみつけたのだ。手紙の内容だが、一通としておなじものはなかった。ひとりひとりへのちがった想いでをとどめつつ赤誠(=まごころ)と心底からの謝罪がつづられていたのだった。
黙読しつつ、嗚咽しあるいは号泣しないものはひとりとていなかったのである。
が、それでも裏切られたことは事実だ。客観的にみて、最後の最後に、積年の労苦を水泡に帰さしめただけでなく、じぶんたちの将来も潰されたのである。
しかし、さすがにCEOだけはすべてにちがっていた。
帰社の車中、ドリーム号を再度つくるための資金をどうやって集めるか。
そのためにはまったく問題なく、メイン工場が稼働可能との前提条件つきだが。その算段のために、思考をつかさどる前頭連合野をフルに活動させていたのだった。再製造は、優秀な研究員たちをヘッドハンティングで引き抜かせないためでもあった。
果然、みなが了解していたとおり、覆水が盆にかえることはなかった、総てにおいて…。
つまり、ドリーム号の帰還はついに、なかった、ということにほかならない。
そして三年三カ月と九日後、総てがかわってしまうのだ、しかも一瞬で。
おかげで、かれらの苦悶や苦闘は消滅したのである。というのも……。
しかし、いまはこれ以上を記せない。
ただ…、三年と三カ月後に突然襲ってきたとしか表現できない震天動地の結果も総て、彦原のせいだった、しかも、そうだったのか、どころか、なにがおこったのかすら、だれひとり気づかないまま。
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