入社一年目の二十歳からずっと、彼の心身に沈着しつづけた重圧、さらに経年の責務と疲労の増大。年々、役職が上がるたびに職責を果たしてきた重荷。そしてついに、社運を背負(しょ)いこんだための大きすぎる負荷に由来する心労、この、二十六歳からの負担がとくに大きかった。
 チャップリンの珠玉は、そんな呪縛から解放し蘇生させてくれたのだ。さらに、十二歳からのタイムトラベル実現のための活力の一助ともなってくれたのだった。
 ぐっすり眠りたいときは、チャップリン作曲の“モダン・タイムス”〈スマイル〉や“ライムライト”〈テリーのテーマ〉そして“街の灯”などの収まったサントラ盤を流していた。癒してくれ、精神安定剤や睡眠薬の代わりにもなっていたのだ。深い眠りと心地良い起床をもたらしてくれたのである。
 さて、読者はお気づきだろうか、直前に表記した彼の心裡、作品への特に六行ぶんが全て過去形であることに。彦原にはもはや、それが遠い過去に思えて仕方なかったからだ。
 あゝとおもわず洩れる歎息。口惜(お)しいのである。
 嗚呼、だれもそしてなにも癒してくれなくなった、そんな喪失感や寂寞、ただただ侘(わび)しいのだ。自分を救済してくれる効力の、消滅してしまった今となっては…。
 包みこんでいるのは、自身が発した、木枯しに似た生気のないため息だけとなった。
 にもかかわらず、つねに接する、たとえば部下たちですらだれも気づいてはいなかったのだ。
それだけに一層、心の奥底で悶々ともがいていたのだ、ひとり砂漠でとり残されたように、打ちひしがれて。
 …だからと、なににすがれるだろう。あきらめの陽炎の、≪今は昔≫の日々だったのだ。
たった二年七カ月前のことなのに。チャーリーから寄与された充足も、今はおぼろな遠景のようにかすんでしまっている、存在のない、蜃気楼のように。
 心酔そのものがなかったかのような、心境の激変。
 彦原の心底に、人生初の大激震が起こったからだ。末世と、そう実感してしまった大事件が突きつけた、過酷ではとてもすまないあまりの現実。それを前に、安息を願うなどもはや甘え以外のなにものでもないと。
==ほんとうは、今も癒されたいのに…==いや違う、懊悩困窮の秋(とき)だからこそ、癒されることを切実に願っているのだ。
==今さらの“たられば”だが、あんなテロさえなかったならば==
 まさに、彦原二十八歳時に起きた大虐殺テロリズム。そのせいで、にわかに湧きいでた煩悶が心にこびりついたまま定着し、払拭はおろか消去も不可となってしまったのである。
 当事者ではないとはいえ、ひととして看過できないほどにそれは残酷であった。他国とはいえ、あまりに悲惨な映像を…、テロが惹起した最悪の地獄絵を目の当たりにしたからだ。
 死者の数と破壊が激甚だったから、その事実を伝えた映像も、凄まじいほどに過酷でまったく容赦はなかった。激烈な事実を隠すべきではないと、国連安保理で採択されたからだ。
 それにしても、日本は当事者ではないものの、たしかに近隣者である日本人も、テロにより発生した二次汚染の被害をすくなからず蒙ってはいた。
 だが日本人の大多数も日本政府としても賠償云々をふくめ、当事国に抗議しなかった。当然といわれればそれまでのことだが、問題視すらしなかったのである。
 最大の被害に遭った同国の人々へ、強く同情したからだ。
 と同時に、官民が同体となって、真っ先に救援や支援を惜しまなかったのである。
 だからといって、そんな至極の人道的支援の質も量も、いちいち恩着せがましく語る口を、日本人はもちあわせてはいない。

 いや、自分でいうのもなんだが、今、そんな能書きなどはどうでもいいどころか、不要でしかない。
 それよりもじつは、深刻な彦原の想いにこそ、注意をむけるべきなのである。
 想い。たとえいびつであろうとも、それは、苦悩しつづけたかれが辿りついたところの正義感であり、義侠心でもあった。
 連夜の悪夢にうなされつつ、それでも突き進むと決意した、1945年における歴史の大転換。想いとは、結実させることであった、なにがあろうとも歴史変革を。
 人類史上最悪の汚点を歴史からきれいに消去し、拭い去りおえるその日を起点に、綿々と続いてゆくはずの平和な世界を、美しい未来永劫を、たとえ数万人の尊い血に、彦原自身の手がまみれようとも、かれは手に入れたいのだ。
 そのために、中国唐代の話、“天荒(未開の荒れ地との悪口)を打破した”を語源とする“破天荒”を目論(もくろ)み、別儀、空前絶後の恐ろしい陰謀を引きおこそうとかれは企てているのである。
 すっかり謎めいてしまって恐縮(きょうしゅく)の極みではあるが、彦原のそんな、破天荒な陰謀とはいったいなにか?…だがその前に、謎解きのための前段を、少々長くはなるが、知っていただく必要があろう。
 2011年三月十一日午後二時四十六分発生の東日本大震災。
 日本での観測史上最大のマグニチュード9.0による地震もだが、その後のあの巨大津波を映像で見て、嗚咽しなかったひとがいたであろうか。人々がさながらアリのように呑み込まれ、抵抗できないまま逆巻く巨大波に引きずり込まれてゆく姿を見て、救援したくてもできなかった自分の無力を、嘆かなかったひとがいたであろうか。
 …だから、もはや傍観を、彦原は自身に認めることなどあり得ないのだ。
 むろん、生まれるはるか以前のこの大震災は約四十六億歳である地球の営みの結果であり、天災は当然、止めることなどできない。たとえば風力3えいどの風を止めようとしても、それすら、今の科学力では無理なのである。
 歴史を変えられるといっても、人為的出来事の場合だけである。
 ところで、人災が生みだした甚大な不幸、もっといえば危機存亡的問題を思うに、国家間の利害や民族間の戦闘や内戦を因に、哀しいかな、いくつも存在している。
 そのひとつ。アジアやアフリカにおいて、人格・人間性や人間の尊厳そのものとは一線を画す、貧困というたったそれだけの、ある意味バカバカしい理由で命の救済がない、殊に子どもたちこそ声を発しない弱者ゆえに見捨てられている悲惨な現実。
 だが、世界はおおむね、耳目をそばだてようとはしない。
 一方、世界の富は、その大半がごく一部の超富裕層の手元にあるという。
 だったら一部でいいから施せばいいのに、かれらの大多数はじぶんの手首や手指を輝かせるちいさな光り物には関心満々でも、プラス、クジラなら必要なのかもしれないが、2mほどのしょせん人間が大きなプライベートプールを持ちつづけようとがんばっている。
 奈良時代初期の万葉歌人、山上筑前守憶良は詠んでいる「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに、勝れる宝子にしかめやも」金銀財宝なんどと比するまでもなく、我が子こそが宝である、と。穿(うが)てば(深く掘る、転じて本質をみる)だが、人間だけがしめす強欲を、ある意味コッケイだとよめなくもない。
 憶良もおもったように、子どもたちの屈託ない笑顔こそが最高の価値をもち、光り輝いているというのに、だ!
 彦原は、自分の手腕で救える命があるなら、手をこまねく科学者であってはいけないと。
 みすみす見殺しにし、気づいてから悔恨に苦しむなんて、それでは二重の辛苦となり、暗愚ですらある、そう強く思っているのだ。正義漢ぶっているのではない。《義を見てせざるは勇無きなり》という約2600年前の一節が、かれのなかで生きていたというだけである。
  “ハイル・ヒトラー”と言わしめる独裁者ヒトラーにたいし、チャップリンが命を狙われても、一種の暴君だと糾弾した勇気。“チャップリンの独裁者”公開もこのことわざに尽きる。
 彦原はひととして…、自身が迷(まど)い、あるいは逡巡している秋(とき)ではない。懊悩に溺れている場合でもむろんないと。それどころか、チャップリンを見習うべきだと。
 そういえば、彦原がまだ少年だった、十六年ほど前のことである。
 十五歳になってまだ二カ月少々という成長過程のゆえに、そしてより多感となる時期だったからこそ、そのときも本気で懐いた理想があった。
“核兵器廃絶”という、まさに壮大な夢。純な思春期だから、真っすぐに真剣であった。
 全廃しなければ、銀河に誕生した奇跡の星、命の満ちあふれたこの美しい地球がやがては、人工放射性物質によって死の星となってしまうであろうと。
 それほどの大量破壊兵器の開発・製造や威力増大のための競争は今もって盛んだが、ホモ・サピエンス(知恵あるもの)とみずからを称する人類は、…なかんずく為政者たちは指導者の立場にありながら、名ばかりの愚かな生き物でしかなく、核廃絶に資する各国の市民やノーベル平和賞受賞の国際的組織(核戦争防止国際医師会議IPPNW1985年受賞やパグウォッシュ会議1995年受賞など)の悲願にたいし、百五十年たった今も、協調はおろか、耳をかそうとすらしてこなかったではないか。
 彦原は、それが恨めしいのである。
 維持・管理・開発・製造・廃棄等についやす莫大な資金(一例、2016年に明らかになった米国核兵器の高性能化に、三十年間で一兆ドル計上計画)を、飢餓や不衛生な飲料水、エイズを含むウイルス感染症等に苦しむ人々、殊に、なんの罪もない子どもたちの救済につかえば、無数の尊い命を救えた、いや今だって救いきれるのにと。
 ただただ、その想いなのだ。
 そんな子たちがもし生きながらえて成人していれば、やがては人々を救う、たとえばノーベル平和賞に値するような人材となったかもしれないのに、である。
 ところが愚劣なる権力者、その最たるプーチン(悪辣な意図のもとで核兵器使用を示唆、恣意【=自分勝手な考え】に逆らう米やEUを恫喝した)や金正恩、前世紀のスターリン等々、かれらはそれでも命の救済という、こんなわかりきった正義には見向きもせず、自己の体制を保持しつつ、みずからの営利に血道をあげてきたのだ、数多(あまた)という計り得ない命を逆に奪いながら。
 そして遺憾(=残念な思い)なことに、二十一世紀末の今日においても、この手のゲスの極みだが、まちがいなく存在しているのだ。ではなぜ、奴らは尊大である自己を一顧だにしないのか?
 彦原は、一言で片づけた。
 “我こそが尊貴な存在”だとして、(核戦争勃発寸前だった1962年10月のキューバ危機だけではない)歴史に学ばない愚蒙(=おろかで道理に暗い)なままの権力者だからだ。それで、普通の中学生でも予想できる世界的な危うさを想定しようともせず、平然としていても平気なのである。
 …しかしながら二万発を超え、とっくに飽和状態といわれる核兵器をこのまま放置し続けた場合、たとえ偶発であったとしても、核戦争が、いずれは勃発するであろうと。
そう、六十三年も前(ちなみに彦原は2064年生まれ)、たとえば、2016年の(上記とは別の)歴史的できごとを、ご存知だろうか。米第四十四代大統領バラク・オバマが被爆地広島を初訪問したときのことを。そして当時、唯一の核兵器使用国だった国家元首が被爆者とハグしたそのすぐ横に、核のフットボールがあったという無神経な事実をだ。
 核兵器の攻撃許可を即座に出せるアイテム一式がはいった黒いカバン(核のフットボール)がつねに、米大統領とワンセットだという、核保有国の常識、非保有国の非常識を。
 むろんこの事実だけで、偶発の可能性を声高にいうつもりは、彦原にもない。とはいえ、ほかの保有国も米を見習っているとみるのが、軍事の常道である。それを前提に憶測した場合、世界情勢にかんがみ、背筋が凍ってしまうではないか。
 自国の権利や利益だけを主張する世界第二の人口(蛇足ながら一位は2095年現在、インドである)を有する独裁国家が、現に存在しているからだ。
 力ずくで無理をとおす国家エゴなど、前世期以前の世界情勢であって、ファシズム(=権力者への絶対的服従を強いる体制)的国家もその思想や形態も滅び去ったはずなのに……。なにを勘違いしているのか、経済力と軍事力をバックに、超大国の独裁者が、我欲を無理やり圧しとおそうとしているのだ。
 でもって、たとえば通り魔。刃物をふりかざす精神異常者に、誰もが恐怖を懐くように、核のボタンが身近にある独裁者が精神に異常をきたさないという保証、あるのだろうか。
 くわえて、ともに大量破壊兵器である化学兵器には、“非人道的”という理由から化学兵器禁止条約が発効して長いのに、比較にならないほど非人道的である核兵器には、今もって有効な歯止めが乏しい現実。
 くり返したが、人的にも制度面でも、破壊力でも問題だらけの核兵器なのである。
 よってかんがえたくもないが世界はひたすら、誇張ではなく、堕地獄へと向かっているのだ。
 扇動する意図など微塵もないが、勃発前夜とも表現できる当代は、だからすでに暗黒時代ともいえる。昨日までと同じ平穏な日常として、民衆はそれに甘んじているだけだとしたら…。鈍感であることで、不安を感じていないにすぎないと、彦原はそう思っている。
 焦眉(=さし迫ったさま)の絶滅的危難なのに、それに気づかないだけなのだと。
 そのことに民衆だけでなく、自国民の生命・財産を第一義に考えるべき為政者も同様に、核兵器の暴走に危機感を、暗愚にも懐いてこなかったのである。
 だから、《転ばぬ先の杖》には手を伸ばそうともしなかったのだ。
 世界には、人類をなんどもなんども絶滅させられる核兵器が現存しているというのに。
 さらに保有国において、危うい独裁国家がいくつかあるにもかかわらず。
 被爆者の五~七代あとの子孫たちを中心に、声も枯れよと“核廃絶”を訴えているのに。
 核兵器の恐ろしさに鈍感な人々にたいし、少年彦原は忸怩(じくじ)(=心中、恥じ入るさま)たるおもいにかられた。
 とくに最悪なのが、世襲で権力を握ったさる暴走国家の元首の存在である。まるで幼児が、玩具を振り上げるような気軽さで、核兵器をこれ見よがしに玩(もてあそ)びつつ、世界に脅威を与えていることにだ。
 強大な兵器の存在とその使用による潰滅的破壊(しょせん、ぼんぼん独裁者の虚勢・空威張り、時代錯誤うんぬんが世界的な見解)の示唆により、とくに国内を、もって意のままに操ろうと企み、あるいは殊に暴力でことを治めようとする愚昧さ、まさに野蛮人さながらで、同じ人間として少年彦原は恥じいるしかなかった。
 ところで、“カサンドラのジレンマ”という言葉がある。
 ギリシャ神話に登場する王女カサンドラが発したトロイア滅亡の予言、それをだれも信じなかったことで起きた滅亡という悲劇。だが逆に、もしトロイアが国家として予言を信じ、対策を講じたばあいはどうなったか?滅亡の回避をみなが喜んだかというと、そうではない。予言ははずれたと人々は、預言者を罵倒するのがおち。つまり、どのみちジレンマとして、不幸な結末をむかえることになる。そんな事態をさすのだ。
 だから少年彦原は、予言などという愚を犯すべきではないと考えた。空理空論も不要だとした。肝心なのは、実行である。
 できるだけ早い将来、自分の手で、核兵器を廃絶するのだと。
そんなかれがただ残念とおもったのは、だからといって、理想を達成するための具体策を持ってなかったことである。それで……、
 いまは才を磨きつつ身につけ、そののちに、大義実現のための方途を見出すしかないと決めたのだった、十五歳の秋に。