“猿”もしくは“禿(はげ)ネズミ”が,信長の発したたんなる蔑称ではなく、双子を産んだ畜生腹からの子という、まさに実体をともなった呼称となってしまうからだ。ひととして、畜生あつかいほどの汚辱が、この世にあろうはずがない。

 また、豊家につかえた家臣たちにしても、だれもが、影武者を天下人とあおいだ体たらくを後世にもし書きのこしたとするならば、これ以上の忸怩(じくじ)(恥辱)はない、ていどではとても済まず、もはや世々禍根のこすまじと、記録を断じたにちがいない。

「しかし騙しとおせるかな?声がすこし違(ちご)うておったが…」正直なところの不安材料を、秀長はあえて口にした。官兵衛とてしっていることと、承知のうえでの発言であった。

双子ならばこそ、声も近似していてあたりまえなのだが、秀吉は声帯が変異するほどに、ことに戦場(いくさば)においてだが、声を張りあげつづけて生きてきた。武人と農民とでは、生活環境がちがいすぎたのだ。

「それでもやり通すしかありますまい」賭けにでるのだから、危険は当然といわんばかりに。

成功か失敗か、繁栄か滅亡か、ふたつにひとつの、究極の大勝負なのだ。

しかも血で血をあらそう代、策謀においても勝てば生きのこれ、負ければほろぶ、が世の習い。戦場ではなくとも、この方程式はおなじであろう。

中国春秋時代の孫子(生年が紀元前535年頃といわれる孫武がしるした、ナポレオンも活用し世界的にも有名な兵法書)にても、強調しているとおりである。

いわく、孫子にとかれる“風林火山”の骨子(戦に勝つに、軍兵の進退においては敵をあざむけ)を広義に解釈するならば、…たとえ味方といえども欺きぬいたほうが、敵を破ることができる、となる。

だから全身全霊でダマしとおすこと、官兵衛はそこに勝算をもとめたのである。

明智光秀がそうであった。約一万の雑兵にたいし、本能寺に滞在している信長を討つ、ではなく、「信長公の閲兵を仰がんがため」などとの虚言を吐いて納得させたのだ。このウソこそが、自軍から裏切りものをださせない、最良唯一の方策だったからであろう。

さて官兵衛たちの、崖っぷちで前もあともないがゆえの極論。それは「しゃせん盛衰など、イチかバチかの賭けのけっかにすぎない」との、開きなおりであった。

 のちの討幕も、兵力と物量ともにぬきんでていた徳川幕藩体制に、勢いと人材力(質)で果敢に挑んだ、そのけっかである。不倶戴天の薩摩と長州による驚天動地の同盟で、これなら勝てると、あえていえば世情が魔法にかけられたすえの、大逆転劇であった。

 その魔術に、羽柴家はおろか、大げさにいえば日の本全体をかけてしまえとの、企みなのである。

「声のちがいにたいする策でござるが、それはあとでお伝えするといたし、まずは、協力者をつくらねばなりませぬ」と。つづけて、すべての人間を騙すことはできない旨をのべた。

官兵衛の頭脳は、火花を飛びちらすほどの勢いと速度で、すでにフル回転していたのである。

で、官兵衛得意の手錬による協力者の人選のけっかだが、このあと、家臣の名をあげていくこととなる。だがそのまえに、

ぎゃくに、選から漏れたものへの処遇。いわゆる、配置がえだ。その時期・部署・手法からはじめたのである。

しかしこの密議の、まずは肝心こそと、軍師を制止した。「協力者が必要なことはとうぜんとして、この密談までをもすべて知らせるわけじゃによって、その人選がむずかしい」いいながら秀長は、故秀吉の正妻である寧々(ねね、またはおね)を頭にうかべた。

ここ戦地より、いそぎの密書を認(したた)めることにしたのである。

「すべてを正直にもうしあげ、協力をもとめずばなるまい。躊躇したりおくれたりで、機嫌をそこねられては、あとあと面倒じゃ」

義理の姉は聡明だから、当家はじまって以来の苦境と危難を、じゅうぶんに理解したうえで協力をおしむはずがない、との確信があった。

「御意」とすかさず同意したのだが、この肝要を口にしなかったのは、秀長に花をもたせるつもりだったからだ。また主家にたいし、家臣のじぶんが差しでがましいとの遠慮もあった。

「されど、門戸をひろげすぎては秘密がたもてませぬ。かといって狭めすぎれば、事をしらざるものに見破られたさい、そのものは愚かにも、埒もなく言いふらすやもしれませぬ」

わかりきったことを秀長に発した、というより、じぶんにいい聞かせていたのだ。むずかしさの極みであると。

「いずれにしろ、できるだけ少ないにこしたことはない。なれど、やはり傍(そば)で侍(はべ)るものを騙すことは、できかねるであろうな」

「側女(そばめ)や小姓をはじめ、おそばで仕えるものどもにございまするな」と官兵衛。

 秀長は、唇をすこしすぼめつつ、うなずいた。この武人が集中し、思考をめぐらせているときの癖である。

「いまおる側女たちはみな、ただちに暇をとらせ、殿の声すらきいたことのない新たなおなごをかしずかさせまする」

「うむ、それがよかろう」いくら似ていても、まずは声のちがいから見破られることは必定とおもった。

また、いくら双子とはいえ、肌身をあわすとなれば、刀傷や身体の微細な相違に、かのじょらも気づくにちがいない。

「ただし、おひとりだけ問題の御仁がおられます。京極家の姫君、竜子さまにござりまする」