ところでこの手紙を官兵衛は、いかように読みとったであろうか?

というのは後年、秀吉は家臣に、じぶん以外で天下をとれるとしたら、それは官兵衛だと告げた。換言するに、官兵衛は最大の功労者だがその存在は脅威そのものだと。

だから、所領を十万石ていどにとどめたのであろう。

最大の賛辞と飼いごろしの二面を経験した官兵衛の心境、いかばかりであったか。推量するに、たいへんに興味深いこととなろう。機会があれば、そこでのべてみたい。

 さて、軍略家としても日本史上に高名をのこすだけあって、みごとに、心裡をよんでいた。それも道理で、弟の秀長とも八星霜のつきあいであった。読めぬはずなかったのである。

「して官兵衛殿は、影武者をつかって、殿のあとを継がせようと」秀長は、わかりきったことをしゃあしゃあと訊いた。

気分転換のはやさと図々しさも、このひとの身上であった。

兄から発せられた、かぞえればきりがないほどの無理難題、繊細な人物であれば、とっくに潰れていたであろう。ともにのし上がっていけたのは、生真面目だけではなかったからにちがいない。

「それ以外に、…ないと拙者は愚考いたしまする」“方策”はないといおうとした。が、秀吉の死が公ではない以上、家臣の身では大それたこと、分にすぎるとおもい、方策という言葉を喉の奥にておしとどめたのだった。

ところで官兵衛、ここにきて敬語をつかいだしている。

主筋家の秀長の役割がおおきくなることは自明であり、そのぶん、秀勝から加増もされるだろうし、とうぜん立場もあがる。格差ができることを、はやくも見越してのことだった。

そのうえで言明をさけ、含みももたせ言質をとらせないことで、_最終の責任を回避したい_という姑息(その場しのぎ)をえらんだ。ここは、主君筋にいわせておくに限るとかんがえたのである。

 そこは賢弟の秀長、_最終責任はじぶんが取らざるをえない_とはおもっていた。ただ、責任のすべてを、じぶんのみがひっかぶる、それを恐れているだけだ。

そこへ、じぶんが唯一無二の手立てと想定したおなじ方策を、天才軍師も口にしたことで、安堵したのである。

だけでなく、そのための具体策も用意しているはずと、じぶんは思いつかなかったぶん、内心期待したのだった。

かれは真のいみで安堵すると、やっと胸襟をひらいた。

隔離された部屋で、「わしもなんどか会い、兄者の話しぶりや本人が気づいてはおらぬクセなどをおしえたのだが、それはそれとして、顔といい背格好といい、たしかによう似ておったわ」

色黒でふかいシワを刻んだちいさめの顔、目尻のさがり具合も薄いひげも。品位にかける口と低い鼻も、である。だけでなく、やや猫背で寸尺のみじかい背丈もやせた体躯も、であった。

それもそのはず。いや当然。影武者は、双子の兄弟だったからだ。