秀吉を解剖し詳(つまび)らかにするには、角度をかえたうえでの、検証が必要だと。

具体的には秀吉だけでなく、ほかの人物をもしることであらたな景色として眼に映じ、もっといえば、比較対照することであらたなる発見が可能となり、おもってもみなかった秀吉像がみえてくるのではとかんがえたのだ。

と、切り口はおもいついたのだが、その具体法であたまを悩ませることとなった。

果てとして、このひとならばと、図書館のしんせつな館員さんをたよることにしたのだった。

ボクの意図をくんでくれ(斟酌(しんしゃく))、寸考ののち「それでは」と、秀吉をふくむ十六人の暴君や独裁者の名前をおしえてくれたのだ。

ついでに、それらの人物像や事績とその背景をしるための本も、ピックアップしてくれたのだった。本好きな少年に、もっと書物のすばらしさを知らしめたいとの、親切であろう。

かれは、ルイス・フロイスが“暴君”にたいし記述をのこしていることをしっていて、それに基づいての書籍を紹介してくれたのだろうと、最近になり忖度できた。

ちなみに、ルイス・フロイスほどの知日家は、今日においても数すくないのではないか。

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲、日本に帰化)とドナルド・キーン(米出身の日本文学と日本文化研究の第一人者で、日本に帰化)くらいではないか、優劣つけがたいのは。

で、脱線のついでである。

イエズス会員として三十一歳のとき、戦国期に来日し、六十五歳で病没するまで滞在した。

わるくいえば西洋かぶれの信長に、西洋文明や精神文化を伝授するなどして、重用されている。権力者の豊臣秀吉らにも謁見するがそれだけでなく、日本各地を旅し見聞もひろげた。

著名な“日本史”などの著作は、戦国期研究の貴重な資料としていまも重きをなしている。