とにもかくにもと、おしえられた順番どおりに本を見開いていった。まずは、“よくわかる日本の歴史”の安土桃山時代編だ。しかし、意気ごみは空回りした。もの足りないというのか、ほとんど手ごたえがなかったからだ。すぐ、つぎのに移った。

二冊目、三冊目とかさねるごとに、想定していた以上に専門色がつよくなっていった。

ひとつの事項にたいする記述もおおくなり、言葉もむずかしくなった。こうなると、途中からひつようとかんじ棚からかりてきた国語辞典を、ひくしかない。持参した新(さら)のノートに記入したメモは、すでに十項目をこえていた。三冊目がおわったところで、休憩をかね、おそめの昼食をとることにした。

 はじめの三冊は棚にもどし、のこりの二冊を確保したいと申しでると、貸出あつかいとして、あずかってくれた。片道十三分、家にかえってインスタントラーメン・ライスを食べることにした。母はパートにでているので、ラーメンはつくるしかない。卵とモヤシをなべに。包丁をつかわなくてもすむからだ。

 五十分後、傍若無人な年よりと五月蝿かった幼児と無責任な親はいなかった。

手すきのときにボクのようすを見にきてくれていた、親切な館員さん。取りくみかたが真剣だったので、もどってきたボクに、静かな部屋があるとおしえてくれた。昼になって、席がひとつあいたかららしい。

_やった、大歓迎や_あずかってもらっていた二冊を両手でかかえこみ、その部屋のドアを背中であけた。眼にうつった光景は、本をにらみつけるような真剣な顔ばかり。ちょっとこわかった。が、集中しているのか、新入者に一瞥をくれるひとはすくなかった。過半数は受験生だろう。

 なんだか負けていられないという気になり、真剣度が増した。

 四冊目はかなり高度だった。辞書をひく回数も格段に増えた。しかし、おかげでいろんなことをしることとなる。四冊目をおえたとき、メモのかずは二倍以上になっていた。時計をみると三時半を幾分すぎていた。静かにトイレにたった。

 アンモニア臭いトイレからでると、外でおもいっきり背伸びをした。腰も伸ばした。このときはじめて、肩に違和感をおぼえたのである。すぐにはわからなかったが、人生初の肩こりというやつだろうと察した。

_お母んのような肩になってる_さわってみてわかった。母親という役目の大変さに、あらためて思いがいたった。同時に、ガンバっているじぶんを褒めてやりたくなった。学ぶことの面白さを、このときはじめて知ったようにおもう。

_さあ、最後や_気をひきしめなおし、いざ参る、とのぞんだ。

 とはいうものの、五冊目の専門書には、悪戦苦闘した。途中でなげだしたくなるくらいだった。筆まめな秀吉の手紙が、章の約七分の一をしめていた。いまはつかわない言葉やちがう言い回しに手をやいた。古語だから、もあったし、専門家専用のせいでもあるようだ。