よみだしてすぐ、昔のひとがかいた文章との印象を強くもった。今だとほとんどつかわれない表現やあまりみかけない漢字、難しいことばに戸惑ったからだ。

それでも、内容そのものはおもしろく、次第にひきこまれていったのだった。

昨年の夏休みのこと。お父とんといっしょに、というより無理やりだったが、レンタルビデオ屋で借りてきた黒澤映画からうけた印象に似ているとおもった。

はじめて存在をしったのだが、”七人の侍”“椿三十郎””天国と地獄”の三本であった。上映時間をきいたらやたらと長い。”七人の侍”はとくに。

それはともかく、あまりに勧めるので、まずは”天国と地獄”から、しかたなく並んで観ることにしたのである。

おもったとおり時代背景は古く、セリフのなかに混じる、きいたことのない言葉にもとまどった。だが観だして十数分後には、奇想天外の、クロサワワールドにはまってしまったのである。

ビデオ屋に並んでいた各パッケージは、とも白黒だったので古くさいとかんじていたのだが、”天国と地獄”では後半において、重要な役割をする煙が映しだされるのだが、なんと、ピンクになっていた。これには正直おどろいた。

パートカラーと称するもので、印象づけをねらった映像効果だとあとでしった。

数日後、べつのがあったら、借りてきてとたのんだほどだ。

 ボクは「はなしが横道にそれることが多い」と、担任の教師からよくしかられた。

けど、黒澤映画に、前年の夏ハマった良きおもいでが、“古い”というイメージの連想でよみがえったのだから、しようがない。

太閤記にはなしをもどす。

借りてきたその日から、昼の食前食後、おやつの前と後、夕食まえと飽くことなくよみ進んだ。その間は、夏休みに放映する子どもむけのテレビ番組をみなかった。

夕食時にはさすがにテレビを見、九時すこしまえ、風呂にはいった。あがると、眠くなるまで太閤記にいどんだ。