ところでもうひとつ、父からの影響がある。阪神タイガースの大のファンになったことだ。がこれについても、母はけっこうイヤがっている。

勝った負けたと「おとこどもがいちいち五月(うる)蝿(さ)い!」、らしい。

それでもおかまいなしで、二連勝でもしようものなら、父子はお祭りさわぎとなる。そんな日の母は、あきらめて耳栓をしている。ことに、暑い夏場はそれでなくてもまいるのにと、常々こぼしている。

ちなみに母の、横にひろがった体型こそ「暑苦しい」とは、恐ろしくて、もはや、だれも口にできないでいる。すでに、なさけ容赦ない報復を、二度も経験していたからだ。

しかしあの夏は、すこし痩せてきたようにも見うけられた。

いつもはとても陽気な母が、もの憂い顔でテーブルに両肘をつき、左右の手をくんでそのうえに顎をのせ、ため息をついていることが幾度となくあった。涙にぬれた頬を見かけたことも。

_お父(と)んとケンカしたんか?いやいや、ケンカして泣くようなお母(か)んやない。泣くとしたら、それはお父んのほうや。典型的な大阪のオバはんが口ゲンカで負けるはずないし、泣くはずもない_

このときの、母らしからぬ変化の理由をおしえられたのは、一カ月くらいのちのことだった。

おおきく重すぎる苦悩が、変貌の根底にあったのだ。

苦衷だが、過去のものとして解消したとはいえ、それでもはじめてきいたときは、十一歳にはつよい衝撃であった。一年をへることなく、癒えはしたのだが。

ところで前述の、母親の体型についての云々だが、“それを言っちゃあお終(しま)い”で、以前ボクが二度だけ軽口をたたいたことがあり、その都度の夕食において、おもいだすのも忌わしい報復をされたのだった。

それはきまって、“ダイエット”と称しての野菜づくしであった。

不本意にも、俄(にわ)かベジタリアンに仕立てあげられたのだ。

父子ともにキラいな人参・レタス・ピーマン・セロリ・パセリ・オニオンスライスを、マヨネーズやドレッシングは「カロリーが高いからダメ!」ということで、ゆるされた調味料は塩だけであった。

ついで、追いうちをかけるように、「野菜それぞれの持ち味を堪能しなさい」と宣(のたま)った。

ふたりとも、その持ち味自体を大の苦手としているのに、だ。

これはまさに、“精進料理”どころではなかった。ご飯をたべるのに、ふりかけすらも、地獄の獄卒(悪鬼)のごとき形相でもって、みとめてくれなかったのだ。

「二度と口には……」と涙目で。二重の意味での、心底からの後悔をこめた訴えだった。

このとき一層あわれだったのは、父であった。すきなビールすら飲ませてもらえなかったからだ。父親という立場のせいで、連帯責任をとらされたのだ。それとも、夫婦にしかわからない事情があったのかもしれない。

_いやはや、早速やってもた。ごめんなさい、はなしが横道にそれてしもて。粗忽(そそっかしい)なボクの、わるい性癖や_《三つ子の魂百まで》で、父親ゆずりは治らない。閑話休題。