さて、とはいえ、まだ少年にすぎなかったボクは、年相応の知識をもとにした好悪(すききらい)によっていた。というよりたぶんに、父親からの影響のほうがおおきかった。
影響といえば、厚ぼったい一重まぶたとタレ目、それに貧相なまゆ毛は父親からの賜わりもの、いわゆる遺伝というやつで、母親からは、とおった鼻筋とやや厚めのくちびるが、である。
まあ、どうでもいいのだが。残念なはなし、ブ男の代表、ということだ。
その母も1949年生まれの浪速っ子なのだが、ボクら男どもにくらべ、太閤ずきでもなかった。いや、むしろきらっているふうだ。
あるときわけを訊いたら、“血塗(ぬ)られている”からと一言、むずかしい表現でかえしてきたのだった。
そのとき、ゾッとしたとの記憶が鮮明にのこっている。キツい言葉のためというよりむしろ、母の表情のせいだ。
1973年うまれの小学生だったボクには、母のいわんとする意味がわからなかった。ただ、悲しげな風情は、じゅうぶんにみてとれた。
しかし、_戦国武将ならだれもが“血塗られている”_わけで、太閤秀吉だけが特別とはおもえなかった。それで、そんな表情をする理由に首をかしげながら、意味をたずねた。
数秒の沈思ののち、「あんたがわかるようになったら、血のいみ、そんとき教えたげる」それだけいうと背をむけ、洗いものをはじめたのだった。
たしか、小六になってまもない晩春の宵のことであった。_それって、いつのことを指すん?大人になったらってことなん?_おもったが、そのときはなんとなく聞きそびれてしまった。
だが「わかるようになったら」は、意外にも早くやってきたのだ。