それはそうとしてもし、このおとこが逮捕されなかったばあい、このあとの人生をどう生きるつもりだったのか。

復讐の完遂で燃えつきたのか、そうでははく、つぎなる目標をもっているのか、ということだ。

連日、矢野が物証の有無についてあたまを悩ませていたときに、うかんだ疑問であった。

で、東の言をかりての結論としては、以下である。

――近年、右傾化が著しい。だからこそ、わが愛する日本を、1945年8月15日以前の言論統制国家にはおとしめさせないぞ。もっといえば、日本人や周辺国の人たちを塗炭の苦しみで苛ませることなど、二度とさせないぞと――

 そのためにはまず、国民主権の否定につうじる特別国家秘密保護法を、廃棄させねばならない。

さて、東のこの想念、理解のためには解説がひつようであろう。

九十年ちかくまえに戦前の日本がうけた、欧米列強からの政治的経済的封鎖にもにたバッシングで追いつめられ、やがて勃発させた亡国の戦争(もとより、これには諸説やいろんな意見が存在する)。

そのような戦争を、今日以降において、永遠に回避せんがためである。

当時、軍部が暴走できたのは、民主主義の根幹たる、国民の知る権利を踏みにじったからで、そのけっか、本来は無関係な他国の人々の尊すぎるいのちがうしなわれ、いわんや、(日本人だけで)推定三百万人のいのちまでをや。

そんな愚の極みをおこさせないための、理想の具現化の方途となると、東とて、まださっぱりだ。

しかし、理想に近づけようと真剣なのだけは、まちがいない。

では、そこまでの強い想いはなぜ?どこから?となると、順をおっての、東の思考と行動から、まずはあきらかにせねばなるまい。

とはいっても、常人には納得するに困難な、東らしい思いこみであった。

ちなみに、この常軌を逸した飛躍の因となったのが、2018年施行の“特別国家秘密保護法”である。常に、国民の“知る権利”をおびやかし、ひいては国家権力の暴走を可能にする悪法だと、かれはみている。

ゆえにかれの頭のなかでは、つぎのとおりの論理が成立したのだ。

――危険な法…認めることのできない特別国家秘密保護法と、父の殺害をふくめ、悪法を作成し可決成立させた政治家どもをどうしても許せない!――

東のつのるばかりの嫌悪や憎悪だが、まずは“そんな為政者“にむけられていったのだった。

以上の事由により、連続復讐殺人の完遂こそが、そして手段としての完全犯罪の完成が、当面の、この若者にとって崇高な生き甲斐となったのである。

そのために、巻きぞえをくうひとが数人ていど出ることになるだろうが、それは誠にもうしわけないがいたし方ないと、そう心を鬼にしたのだった。

そのうえで、施行から七年たった特別国家秘密保護法の廃止が、つぎの目標であった。

歴史(東は戦前の、戦争へと突き進んでいった狂乱、帝国日本とナチスドイツを事例にしている)から学ぶと、悪法を成立させた日本は、やがて堕地獄の道をすすむと信じたのである。

それは、ナチスドイツが全権委任法(ナチ党、なかんずくヒトラーに白紙委任をみとめる法。独裁者ヒトラー誕生の因)を、大日本帝国が治安維持法(万単位の処断者をだした言論・思想弾圧の根拠となった悪法)を成立させたことをさしている。

権力者の暴走を防ぎ止めるには、テロだろうと無差別殺人だとののしられようと、もはや強硬手段しかない、これは――まさに革命なのだ――と確信しきっての論理であった。

本人は正気のつもりだろうが、むろん、てまえ勝手にすぎる暴論である。

そのために殺されたひとはたまったものではない、ていどで済むはずがない。

こんな論理を、さも正論がごとくふりかざす東。人命の尊さがわからない、たんなる犯罪者にすぎないやから以下だ。否、ここまで狂うと、もはや悪魔の化身である。