さて、ここにきての、東の急変に満足しながらの矢野だったが、手綱はゆるめない。「それにしても、完膚なきまでというにふさわしい、惨めすぎる敗北だな」
敗者に容赦しないのは、つぎに言いたい大事のための布石であった。
「おまえがこれほどの連続殺人事件をおこし、おやじさん、泉下(あの世)で悲しんでるぞ」
きいた東は、首をちいさくなんども横にふった。そこには触れてほしくない、そっとしておいてほしい、と一同には、そう見てとれた。
しかしながら、取調べを加減する矢野ではなかった。
「それにしても残念だったな、狙撃事件のほうは、立証が正直むずかしい状況だったが。縄張りあらしの大事な時期にケンカをおっぱじめる、知能はサル並みのチンピラがいて。おかげですべてが明らかになったよ。おまえは怒り心頭だろうが、警察としては感謝状ものだな」
和田によって、すでにイスに座らされていた連続殺人犯の目が、一瞬だが吊りあがった。しかし、瞋恚しんに(怒りや憎しみ)を継続するにひつような気力だが、もはやなかった。すぐに、うなだれたのである。
ところで証拠がない状況下ゆえに、かましもハッタリもすべて賭けであった、いうまでもなく。しかもかなり危険な。とはいえ、推測には自信があったのである。
さて、関東での地盤にゆるぎのない地元の暴力団は、ハイリスクローリターン(危険のわりに見返りがすくない)となる単数の銃の密売などには、鼻もひっかけないはずだ。おとり捜査の危険性も考慮にいれるであろうし。
いっぽう、地盤がよわいぶん失うもののすくない新参者は、ある意味ムチャができる。ことに使い捨てにちかい立場の遠征組の下っ端は、稼ぐためには少々のあぶない橋でもわたるしかないのだ。座していては、上からえらい目にあわされるだけだから。
つまり、既存の組は確実な運営で組織をまもろうとするが、新来は攻めるしかない。これは、それぞれの立場における定理である。
この推測にアナがあるとはおもえない矢野は強気で、ハッタリとかましは通用するとふんだのだ。
あとは、もっていきかただとかんがえた。そしてきめた手法が、一点を思いっきり衝いて、そこでとどめを刺す、であった。吸血鬼の息の根をとめる手段に似て。
「残念だろうが、おまえは、完膚なきまでに敗れさったということだよ」とかまし、吸血鬼の心臓に、まさにエアー杭を徒手空拳で打ちこんだのである。
で、いまの東のおちこみぶりは、矢野が賭けに勝ったことを証明していた。
ともかくも、いかなる理由があれ、五人の命をうばい、六人をその巻きぞいにした!ゆるされざる連続殺人鬼である。断罪されるべき、命の収奪者なのだ。
ここは、冷徹なデカとしての矢野。いまがグッドタイミングと、「では、教えてもらおうか。どうしてこれだけの犯罪を冒したのかね」見当はつけているが、動機を、本人の口から吐きださせる必要があった。
そのために、一種の“逆恨み”ではないか、とはあえていわなかったのである。
逆恨みととるか、報復行為にたいし同情をしめすのか、その判断は、裁判所がすることだと。
「……」
「いいか、よくかんがえてくれよ。さきに立証した三つの爆殺事件だけをみても、もはや逃げも隠れもできないことぐらい、キミならずともわかるだろ」また“キミ”に呼びかたをもどした。そのうえで、小バカにするような皮肉や愚弄する態度もさけた。
そして矢野は、「ここからが肝心なんだから、しっかりコミュニケーションをとろうな」真剣そのものの言動にあらためたのである。
「ところで現在の心境を、まずは聞かせてもらおうか。巻きぞえをくったひとたちにたいしてだ。キミの憎しみの対象者でもなかったのに、これからの人生が一瞬で、うばわれてしまったんだよ。どれほどの無念か。まだまだしたいことや夢があったと、ボクにはおもえてならないんだが…、ちがうかな」
さとすような口調と声色になっていた。愛するひとたち、妻や元義父母・部下たちに普段みせる、安らぎをもたらす温和な眉と瞳で。
先刻はひかえていた、心情にうったえる陳述を、これからしようというのだ。
「……」相変わらずのだんまりではあったが、態度にはややの変化がおきていた。
「しかも、命をうばわれた被害者だけの問題じゃない。あとにのこった被害者家族もが」語調に、叱責のにおいはもはやなく、説諭の色あいもうすかった。あえていえば、ものわかりのいい父親が、愛息に語りかけている、そんな光景にもみえた。
しかしだ。“被害者家族”というピンポイントのことばに、連続殺人犯はすぐさま反応したのだった。「あっ、それをおっしゃるなら、ボクにもいいぶんがあります」
ここにきて敬語にかわったのは、口先ではない矢野の、被害者のことを真摯におもう人間性(矢野も被害者家族だから、よけい滲みでるのだ)に、心うごかされはじめたからであろうか。
であったとしても、自説はつらぬいたのだ。「ボクの父は、場壁元首相らの手によによる、あの悪法が原因でころされたんです!にもかかわらず、犯人たちからの謝罪はなかった…」
いうところの“犯人たち”が、実際の犯人をさしていないのは、明白である。
つまり、東がのぞんだ謝罪とは、場壁首相(当時)談話などでの遺憾の意の表明であろう。さらには、尊い命がうしなわれたことへの、政府としての哀悼の辞ではなかったか。
しかしながら、具体にふれることを東はしなかった。理解してもらえるとはおもっていなかったからか。それで、独り言のようになってしまったのである。
矢野たちとて、そこにまではふみこまなかった。
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