……ここからしばらくは、東に注目していただこう。
さすがに堪えきれず、“もはやこれまでと”、跳びはねるようにして立ちあがったのだった。矢野とのギリギリの心理戦にいたたまれず、ついには呆然と、つったってしまったのである。
部隊での訓練は、もはや、意味をなさなくなったということか。
朝一番からのやりとりが、ボディブローのように効いていたうえでの、自信にみちた矢野の言動。おまけにくやしいが、デカのつぶやきが事実かハッタリか、確かめようにも手段をもたないのである。
だからといって、ヘタに反論すれば、かえって足をすくわれるであろう。まさに、ファジーゆえの巧みな攻め手に閉口するなか、精神的に安寧のない苦海(はてしない苦しみ)を漂わされていたのだ。そんな状態だからこそ、抗えず、なすすべもなかったのである。
ここまでいたぶられつづけるなかを、それでもよくぞ(たいがいの被疑者なら、とっくに降参している)耐え忍びつづけていた。が、孤軍奮闘むなしく、すべてにおいて、完全に追いこめられてしまったのである。
もはや、逃げ場はない。そう、どこにも、ないのだ!と。
そうなった理由のひとつ。脳ミソの腐った痴呆チンピラなればこそ、指示したメール消去を忘れたにちがいないと、デカにそう指摘されたとき、たしかに、ありうると。
それというのも心のかたすみで、社会のクズどもは愚昧だから、凡ミスをするのではないかと、犯人として、じつは恐れていたからだ。
とはいっても、感情むきだしの輩に、消去の念押しが通用するともおもえなかった。
それでも、あえて念押ししたならば、どうなったろうか?おそらくは、逆効果どころか、やつらは“バカにするな!”と怒鳴りまくり、あげくに、意趣晴らしすらしかねない。そのていどの、単細胞なのである。
果然、“さわらぬ疫病神にたたりなし”、とおもったのだ。
たしかに、銃購入のしかたには一抹の不安をかかえてはいた。しかし計画において、それ以外は完璧な復讐劇であると。
不安ならば、銃以外の殺害手段をもちいるべし、とは、かんがえなかったのだ、一片も。
報復に、銃は絶対条件であった。父親の無念をはらすに、狙撃こそ必然だったからだ。
それで、暴力団から買うことにしたのである。裏サイトよりは危険度がかなり低いとの見たてには、いまもそうだとおもっている。
ただ、運が悪かっただけなのだ。取引のあった組の手下が刺殺され、しかもそいつが銃刀法違反をおかしていた、なんて不運としかいいようがないではないか。
運不運はあざなえる縄のごとしで、けっか、逮捕されてしまったが、復讐劇そのものには、微塵の後悔もない。とうぜんのことで、理不尽な殺害を、子として看過できるはずもないからだ。ただ、それにつきる。
それで、数々の報復に人生を賭けたのだ。そのための、練りあげた完全犯罪であった。
残念至極なのは、それを、とるに足らないやからがぶち壊してしまったことだ。
しかし、そんなアホウに頼るしかなかったのも事実である。
いずれにしろだ、完膚なきまでの敗北がショックだった。
サンドバッグのように、ただただ、打たれっぱなしであった。刹那、パンチドランカーのように、思考が停止してしまったのである。
それでこのあとついに、くちおしさと絶望のあまり、落涙したのだった。ではおさまらず、歯がみをし、地団駄までふんだのである。逮捕されたことにというよりも、このあとの計画をが頓挫したことにである。
動機の露見や逮捕への不安もふくめ、じぶんの存在すべてを、精いっぱい抑え、警察の眼から隠れつづけてきた。事実そうなっていたし、今後もそうあり続けられると、デカたちと玄関で相向かいあうまでは、かたく信じていたのだ。
それだけに、堰をきったように、激情がほとばしってしまったのである。
人生、一寸先は闇。だからあるいは、組員に消去の念押しをしていたら、証拠はなくなって、こんな目にあわずにすんだかも…。が、もちろん、結果論でしかない。
いっぽうで、うだうだの自分にたいしても、腹がたったのである。こんな“たられば”に、なんの意味がある!嘆いても、覆水、盆にかえらず、だ。一敗、地にまみれたのである!
そうとしるとじぶんが惨めの極みにおもえ、自然、足の力がぬけていった。立っていられなくなり、心とともに、へなへなと頽くずおれてしまったのである。
あとは素直に、もはや、運命をうけいれるしかないと。
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