さらに独壇場はつづく。
「そうでなくても、人というのは、期待どおりには動いてくれないもんだしな。おまえ、今、心あたりがあるといわんばかりの表情になったな。そうか…、大変な目にあったもんな」それとなく同情してみせたのだ、名演技で。そして「気の毒に」と、心をこめてつけたしたのだった。
くわえての手管。東にのみ通じるように話しかけているのは、録音・録画を意識しているからだ。言わずもがなの、ヘタをうったばあい、最悪、被告側に有利な証拠ともなりかねない材料をあたえることに。そうはさせない手練である。
ちなみに取調べにおける可視化は、暴力や脅迫などによる強引な取調べの防止や裁判の迅速化を期待しての制度だけに、裁判で、自供が脅迫によるものだとの被告側の訴えがないかぎり、先例からも、公開されることはなかったのである。そこが矢野の付け目だった。
かましやハッタリを、それだと被告側が気づかないように、そこさえ気をつければ大丈夫だし、あとづけにはなるが、メールという証拠も見つけることはできるだろうとの予感もあった。
そして翌日、それは事実となる。
そのうえで東の表情から、あと一押しでオチルとふんだ矢野、とっておきの、最後の毒矢をはなつことにしたのだった。
「これで容疑はかたまった。まあ、がんばったんやろうけど、勝負はついたよ」だがこのときもみごとに、“おまえも”の主語を抜いていた。
あとは東が、勝手にじぶんのことだと勘違いするはずだと。
そうなるよう、細工は流々りゅうりゅう、仕上げをごろうじろ(とは死語。伏線をはり、オレ流の布石や示唆で、袋小路へと誘導したと解してほしい)。いわゆる、人事をつくして天命をまつの心境であった。
そして、思惑どおりにすすんだ。じわりじわりの絞めつけが、功を奏したのだ。けっか、東の心臓を射ぬいてしまったのである。
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