ふつうにかんがえれば、通院のためなら、おおよそ正確な時間に出かけるだろうにと、矢野はおもった。だがここはあえて、執拗にせめるべきではないとした。まだまだつづく取調べにおいて、執拗に質問するばあいもでてくるとみたからだ。

「で、準備って?もっと具体的にだが、計画をねる時間や必要な物をそろえる手間もはいっていたのかね」

 そうだと、あごで認めた。

「素直でたすかるよ」正直な感想だった。「ドローン操作の練習を、北小岩の江戸川河川敷にしたのは、、、」

「おたく、見当はついているんだろ」したり顔でいった。優秀なデカだと、先刻承知といいたいのだ。それは、二の舞は演じないぞとの、一種の宣戦布告のつもりだった。連続殺人犯にも、たくらみがあってのことだ。

 のぞむところとばかり、矢野は破顔した。

対極のふたりの相対あいたい。ということは、第二ラウンドはもっと見ごたえのある対局となるのではないか。

それはさておこう。

矢野なればとうぜんのこと、現場にいき、観察をし、光景を記憶もしている。

「まずは堤防が、市街地である居住区域とを隔てる、いわば、たかい壁になっていた。よって河川敷内のようすだが、外部からだと遮られて、見とおせない。つまり、目撃者がすくなくてすむということだ。つぎに、電線などジャマするものがなく、練習に最適」

 じぶんが犯人でも、最適地にしたであろうとおもった。

「それにしても計画犯罪者というやつは、透明人間になりたいくらい、第三者の目撃と記憶をきらうもんだからな」

「へえ、そうなんだ。知らなかったよ」うそぶいた。

それを、矢野は無視した。「その点でも、近くには、”きらら小岩”という名のグループホームがあり、ちいさな町工場も点在している。さしひき、民家はすくなくなる。しかもいちばん寒い時期、暗いうちの午前六時半くらいから三十分弱の練習だと、もっとも気温がさがるぶん、高齢者が重篤な疾病しっぺいをひきおこす危険な時間帯でもあり、散歩しているひともすくなくなる勘定だ」

グループホームの早朝は人手がすくないぶん、居住者が外出できないよう、まして徘徊などしないよう、ことに玄関ドアはロックされている。また、午前七時前に練習をおえるのは、ちかくの河川敷公園に従事する管理者の目を避けるためだと解説してみせた。

 すると、お見事!と、喝采してみせた東。

何たる所業であろう!。矢野班の全員が痛感したのである。

多くのひとの命を奪ったのだ、この男は。その、まぎれもない事実、きびしい現実をまるで忘れたかのような態度。無慙むざん(心を斬ると書き、残酷でしかも恥じないさま)そのものである。

 ゲームでもしている感覚なのかと、矢野は無性にはらがたった、いや、憎悪のあまり、殴り、蹴りつけたくなった。

だが、表情ひとつ変えなかった。少年期、両親のむごたらしい死にざまを、瞬時とはいえ目に焼きつけてしまっていた、にもかかわらずその、無慚にすぎる経験を、のりこえてきたからだった。

 いっぽう、連続殺人犯は殴られることで、警察官による暴行事件の惹起をと、じつは煽あおったのである。転んでもただでは起きない、まさに、一筋縄ではいかない、真正のバケモノであった。

通常、逮捕された被疑者は、逮捕理由、つまりうごかぬ証拠をつきつけられると、身におぼえがあるだけに、否認や黙秘はあまりなく、大半は観念するのである。逃れられないと、あきらめるからだ。

先刻までの東のようすから、デカたちにはおなじにみえた。

矢野たちにより完全犯罪は崩壊せられ、おもいもよらぬ、突然の来訪直後の逮捕となった。まさかの急展開。すべてが「あっ!」という間だった。存在しないはずの証拠の提示をうけ、もはや茫然自失の状態に。あまりの事態、特殊部隊での訓練もかたなしで、頭が混乱してしまったのだ。

じぶんが自分でないような、経験したことのない感覚。陥穽に、はまったのである。

だから、デカの手管に自供せざるをえないにがい屈辱を、今のいままで、舐めていたのだった。

ところがだ。反転、反撃をこころみる挙にでたのである。強烈な一矢で、報復しようとかんがえたのだ。

 藍出が真むかいにいたら、真っ先に正義感が猪突し、殴る蹴るの事態となり、つまりはまんまと、東のワナに陥ったであろう。

 だがけっかは穏やかに終始した、かに見え、第二ラウンドの序盤は、じつは波乱ぶくみではじまったのである。嵐のまえの静けさに似ていた。

表むき、静穏ではあった。が、矢野の心裡には、じつはおおきな変異が生じていたからだ。

じぶんと同じく肉親を殺された身に、同情の念もなくはなかった。ただし、部下たちにもいえない心境ではあった。だがいまは、完全に消滅してしまっていたのである。