ところで先日、矢野が苦悩しつつやっとこさ思いついた、東が、上手の手から水をもらしたような,愚かしいミス、爆薬製造が冬だった云々のくだりだが、このことだったのだ。

「おまえ、寒さでもしも手がかじかんでしまったばあい、爆薬製造の工程で、薬品をうまいぐあいに調合できないかもしれないと、それをおそれ、おもわずエアコンを強めにした、え、そうだろう?」

 そのとおりであった。で、今このとき東は、じぶんが冒したうっかりミスに、ようやく気づいたのである、しかも、取り返しがつかない。

 しかしまだ、酷寒と不運との因果関係について、東以外に気づくものはいなかった。よほどに、想像力豊かな頭脳のもちぬしでないと、矢野がこれから言おうとする肝心に、いたらないであろう。

「数種類の薬品を調合するにあたり、分子と分子、あるいは粒子と粒子がぶつかって、それが塵埃じんあいとなる。ちなみに塵は数の単位で、一の十億分の一、埃は百億分の一と、じつに細かくちいさい。まあ、賢いおまえのために数の単位でたとえてみたのだが、つまりは、可視できないほどに微小ということだ」

 熟慮三考(なんども徹しての深い思索)を重ね、辿りついた決定打である。

でもって、矢野の独壇場がまさにはじまろうとしていた。

「発生したその塵埃が室内にただよい、暖房であたためられた空気とともに上昇し、稼働中のエアコンがそれを吸いこみ、フィルターやフィンなどのエアコン内部に付着した」

 三度の爆破につかった爆薬の量は、科捜研によると、合計で3キロちかかったのではないかと。それほどともなれば、その成分の検出が可能となる量の塵埃が、製造工程において空中に散布されたはずと、矢野は願いをこめつつ、そうふんでいたのだった。

 ちなみに、原料の購入においても、東にぬかりはなかった。他の三県、十以上のホームセンターで、バラバラに買ったからだ。

捜査員が、薬品や機材の入手経路から犯人に迫ろうとこころみたが、徒労におわったのも道理だった。

「その塵埃を、見つけだしたというわけさ」そう、のたまったのである。

爆薬の製造をしたのが春や秋だったなら、極悪犯東がエアコンを稼働させることはなかった、そう断言できる。だとすると…物証はのこらなかった、となる。

“天網恢恢、疎にして漏らさず“(天が張る網は、けっきょく、悪人を漏らすことなく捕えるの意)。つまりはじめから、悪事に味方をする運などなかったということだ。

たしかに矢野たちにとっての、天佑(天のたすけ)はあった。

そうはいっても、物証を探しだしたのは矢野警部である。

換言すれば、孫悟空(自信過剰の東)が、仏(矢野)の掌中にあったともしらず、自在に飛びまわったあげく、やがてじぶんの愚かさや拙さを思い知る、その瞬間に似ていた。(この譬えの概要、“西遊記”を、ウィキペディアを活用し、ご覧・ご承知あれ)