いっぽう、岩見事務所への家宅捜索も午前九時にはいり、十時少しまえにはおわっていた。

そのさい、原刑事部長は鑑識員に、パソコンのデータをすべてダウンロード(原本の存在が明確であれば、そのコピーは証拠能力をもつとの、2021年四月施行の刑法および刑事訴訟法改正をふまえての発言)しておくようにと、しじしておいた。

爆発物製造法サイト閲覧記録や製造にしようする薬物と器具、およびライフル銃の購入記録などがのこっていれば、りっぱな証拠となるからだ。

しかし、そんな痕跡はまったくなかった。それでも原はねばった。記録を消去した可能性を主張し、その記録を復元するよう藤川に命じ、事務所にむかせたのだ。

ところで、任意での供出ということには、後援会長がしぶった。

そこで電話ではあったが、原の命をうけた星野が、しかたなく説得にあたったのである。

その巧みに会長はついに応じ、十五分後、許可をだしたのだった。

二台あったパソコンの両方と藤川は格闘したわけだが、結局、記録消去の痕跡をみつけることはできなかったのである。

藤川は命令者の原を無視し、当該事務所に現存するパソコンは事件とは無関係でしたと、上司の矢野に報告した。

かりに、もう一台あったばあい、あるいは会長か事務員の自宅のパソコンをつかったとしたら、しらべようがないわけだが、あんに、ふたりとも深追いするつもりはなかった。

 

で、爆発事件の一報がはいってから二十四時間後、同事件現場所轄の麹町警察署との合同捜査会議が、麹町署内会議室でひらかれていた。同警察署刑事課の大半のデカも、とうぜん招集されたのだった。

ちなみに、国会議事堂とその周辺や霞が関など、国内政治のもっとも重要な地域を管轄する麹町署だけに、人員・予算・建物の規模ともにそれに似つかわしいものであった。

そんな余談はおくとして、今回の爆破事件のせいで、動機にかんし立ちいった捜査をするよう、警視総監が昨夜のうちに原に命じたのである。

一事件にたいし直接のしじをだしたのは、異例中の異例であった。

その意をうけ、軽傷ですんだ秘書たち(和田警部補が事情聴取した)や岩見の妻に、さっそくの事情聴取がなされたのだが、けっか、殺意をいだくほどな政敵は、場壁のときと同様のりゆうで、存在しなかったのである。

にもかかわらず、今後もつづけるようにとの命令を、刑事部長はだした。

だが一カ月後、進展がないためにこの方面の捜査を断念することとなる。

同時並行で、綾部にたいし内偵捜査をすすめていた帳場だった。が、八年の空白のりゆうも、実行犯とおぼしきヒットマンにかんするどちらの情報も手にいれられなかった。

それにくわえ、岩見恒夫殺害にたいする動機を徹底的にしらべあげたが、この件においてはでてこなかったのである。

シロにちかい灰色として、捜査本部はしだいに、かれへの興味をうしなっていった。

ちなみに綾部とは、場壁のしじで閑職においやられたキャリア官僚で、クレー射撃をとくいとしていたことで疑惑をうけた人物である。

 

やがてのことだが、時間ばかりがついやされるが、いっこうに捜査が前進しないでいるうちに、さらにべつの人物も凶弾により命をうばわれてしまうのである。つまり、第三の事件がおきるということだ。

が、その件にかんする勇み足的記述は、ここまでがよろしかろう。

それよりもいまは、足踏み状態とはいえ、千葉九区において当選をかさねてきた、二番目の被害者である岩見恒夫殺害事件の捜査にこそ眼をむけるべきであろう、第一の殺害事件も、とうぜん並行して。

でもって、

岩見に誕生日プレゼントをした地元後援会会長にたいしてもとうぜん、捜査員がむかい、すでに事情聴取をすませていた。

しかしかれらは、収穫をえることなく帰っていったのである。

原部長が、じぶんの息のかかった刑事にまかせたせいだった。かれらは原の意をうけ、懐疑をあからさまなままに事情聴取したからである。

せいぜい、いなかの名士ていどとたかをくくり、国家権力の一端をみせつければ手もなくひるみ、すぐにボロをだすだろうと臨んだのだった。

その後援会会長だが、岩見とは高校の同級生で、親のあとをついで建設会社の社長におさまった六十歳の男性であった。

人を見くだすことになれた人生をあゆんできただけに、――一介の刑事ごときが…――という肚で対峙した。両者がうまくかみあうはずなかったのである。

けっかを電話できいた原は、ちいさく舌打ちした。いちばん怪しい、いやそうとまではいえなくとも、爆破事件にかんし重大なキーをにぎっている人物を、任意同行の名目でひっぱりたかったのだが、拒否された以上は、断念せざるをえなかったからである。

令状がでない現状ではむろん、捜査本部での取り調べはできない。

その令状についてだが、あたりまえの話、発付するだけの正当な理由なくして、裁判所はうごかないのである。

だが、それであきらめる原ではなかった。岩見と会長の関係がしっくりいってなかったのでは?…とみて、内偵捜査を数人に命じたのである。

くわえて、ふたりいる女性事務員にも動機がないか、さぐらせたのだった。

だが三人ともに、いわゆる動機らしいものは、まったく出てこなかった。

ついで、テロリストとつながりをもっていないかも、原は調べさせたのだった。がその女性たち、どっからみても普通のおばさんなのだ。

けっかをここで記すまでもなかった。捜査会議でも、いまだ、なにもでてきていないとの報告ばからとなった。

矢野班ならずとも、刑事部長のあせりに、深刻さが増しつつあるとみてとった。

 

ところでだ、“おたんこなす”といわれる者たちがいる。

でもって、二種類あるようだ。学歴は申しぶんなく、頭もきれる、が、役にたたないやつ。たとえば原部長のように、頭でっかちで現場での捜査経験の稀薄ゆえに、かえって捜査のさまたげとなる人間だ。

もう一種類は、つぎに登場する正真正銘、尾頭つきの、すべて揃ったおバカさんである。

「犯人はどうして」内々で開催される岩見の誕生日パーティをしったのか。

矢野係のなかではもっぱら、おバカでとおっている岡田巡査長が合同捜査会議の途中で、隣にすわる二十五歳の藤浪警部補に小声できいた。

二十五歳で警部補ということは、こちらはキャリアである。

ちなみに矢野係には、警部補が三人もいる。古株の和田と昇格したばかりの藍出、それに藤浪である。この藤浪だが、英才教育をうけさせんと副総監じきじき、矢野警部のもとに配属させたのだった。

「おそらく、岩見のオフィシャルウェブサイトかブログなどでですよ」岡田が年上だということ、藤浪が矢野係に配属されてまもないということで、先輩に敬意をひょうし、ていねい語をつかったのである。

警察組織は階級社会ゆえに、そんな気をつかうひつようはまったくないのだが。

ちなみに、“オフィシャルウェブサイト”とはなんぞやという顔をしたので、企業・団体や著名人等が運営する公式ホームページといっぱんにはそう呼称されていると、せいかくな説明ではないとしりつつ、先輩の顔をたて、小声でおしえた。

その説明がむずかしすぎたのか、記憶にのこった、会議での報告のきれはしを反芻した。「半月で、勝手にきえちゃうんですか?そんなものなんですね」自動消去されるシステムが通常なのだと、勝手に思いこんでしまった。

いっぽう藤浪は、捜査の大勢に影響なしと、思いこみをそのままにした。

で、置きざりにされたまま、ツイッターをつづけた。「便利も善し悪しということですか」三十代前半だというのに、堂々たるアナログ人間なのだ。

その見た目だが、メロンパンのように凸凹で厳(いか)ついブサイク顔のせいか、女性についぞモテたことがない。

にもかかわらず、一丁前にすきな女性がいるのである。あろうことか、警視庁のマドンナ(女優の北川景子ほどではないが、かなりの美形)に、柄にもなくまいっているのだ。

叔父でおなじ係の和田警部補は、それを打ちあけられたとき、口のなかの日本酒を噴きだしてしまった。まさに噴飯ものであった。

凡庸なおいを、叱咤するいみで“バカ田”とふだんから呼称しているが、このときほどバカにみえたことはなかった。“高嶺の花”だからあきらめろと抑えぎみに諭したつもりだが、かのじょは別世界に咲く“月下美人”だと、いってやった方がよかったといまではおもっている。

ところで、身内のおじが凡庸だとおもうくらいだから、係のあるひとりをのぞいては、総意とみていいだろう。

では、その奇特な、ただひとりちがう見解のもち主とは?

だれあろう…矢野警部であった。そのわけだが、いずれわかるときもくるにちがいない。

さて、われらがヒーロー岡田君にかんするエピソードはここまでとして、

捜査会議の報告にあったとおり、岩見の秘書がウェブを作成し、運営する公式サイト上に記載していた。そして、半月にいちどのわりあいで更新され、直前の記載分はそのつど、自動的に消去されるというしくみとなっていた。

自動消去だが、二枚舌をとくい、あるいは常用する政治家という人種は、特殊だからなのかもしれないが、証拠をのこすことを、タブー視する習性のせいではないか。

消してもムダなのだが、失言も前言撤回すれば難をのがれられる、そんなあまい経験がおそらくは身に沁みついているのだろう、セケンを万事軽くみているようだ。

他者による、記載のとりこみや保存がかんたんだと、たとえしっていたとしても。

いやいや、臆断(根拠なく憶測し判断する)はこれくらいにして、事実にもとづいての筆をすすめよう。

とはつまり、去年の誕生日パーティのもようをしるには、昨年の十二月二十八日からことしの一月十一日までに記載されていた告知を、犯人サイドはリアルタイムでみるしかなかったということだ。

暮れから三が日、さらには松の内・鏡割りと、いっぱんてきにいって気忙しい半月である。

ひとにもよるので、こんな世事的なことからだけでは断言はできない。が、そんな最中(さなか)に犯人はある意思をもって、岩見のオフィシャルウェブサイトをみたにちがいない。

さて、会議で、半月ごとの自動消去をしった、このときの岡田のみじかいツイート。

それをつたえ聞いたが、不明にも矢野は、警部として歯牙にもかけなかった。

しかしやがてのこと、バカ田のこのちいさなつぶやきのおかげで、かすかながら光明がみえた気が、矢野はするのである。

矢野警部が“バカ田”とはおもわないばかりか、貴重な戦力だと確信し、ひそかに感謝すらしているのは、岡田ならではの、意外性に起因する。

常人だとおもいつかないギモンや、思い浮かばない発想をする点であろう。でもって岡田は、事件解決の糸口を、知らずしらず提示してきたのである、いままでにおいても。

 

倦怠ムードにおおわれ、士気のあがりにくい帳場において、狙撃事件のほうの捜査だが、地取りからも防犯カメラや監視カメラの映像解析からも、例の遠映いがい、有力な情報をえられないまま、時間だけがいたずらにすぎていることはすでに書いた。

それでも現場捜査員たちは(おざなりなごく一部をのぞき)、情報をもとめ這いずりまわっていた。どこかに手がかりがあるはずと、地取り班も映像の解析班も鑑識課も総力をあげて。

しかしながら、五里霧の中で手探りしている状況に、変化はなかったのである。

もういっぽうの爆破事件の動機についても、なんらあたらしい情報もまったく見いだせないままだった。

捜査本部上層部の――いやはや――というため息と浮かぬ顔ばかりが、会議中鎮座していた。停滞ムードが醗酵をはじめ、あせりすらほのかに漂いだしたのである。

こんな状況下では、犯人像がうかびあがってくるはずもなかった。

まさに手づまり状態がつづくだけの毎日、捜査を進展させるきっかけすら手にできないまま、時間だけが茫々とすぎていったのだった。

そして一月も下旬にさしかかったころ、捜査開始からまだ四十日たらずだというのに、お宮入りの様相を呈してきたのだ。

で、帳場においてだが、焦燥どころか、もはやちいさな諦観を、その不機嫌な眉のしわにみせる幹部すらいたのである。さすがにおもてだっては、口にしなかったけれど。

いっぽう、現場でも、あるいみベテランの捜査員ほど、内心、迷宮入りをかくごしつつ、ちいさく戦慄(わなな)いていたのだった。

外回りの寒さのせいだけが原因ではなかった、鳥肌がたったのは。

それでも捜査は、粛々とつづいていた。

気の毒だったのは、とくに足腰にもこたえるこがらしのなか、目撃者さがしや再度の訊きこみなどが徒労におわり、無為の日々にあまんじねばならなかったことだ。

進展のない捜査ほど、現場の気をなえさせるものはないのである。

そ~んな、狙撃事件から五十五日目の二月八日午後九時すこしまえ、こんどは、与党幹部で閣僚経験者の林絹代衆議院議員が射殺されたのだった。