ところでせっかくだから、すこし脱線して、要人暗殺について。
近代日本といえる明治以降においてひとりの命をうばった、しかも日本国内でおきた事件としては、今回の暗殺がその影響から空前といえるであろう。
などとかけば、不同意とするひともままおられるのではないか。
そんなふうに逸(はや)る御仁ならば、日本史上の一大ターニングポイントとして、大老、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼暗殺=桜田門外の変をまっさきにあげるであろう。
ペリー提督の黒船来航を因に、燎原の火(防ぎとめられないこと)のように攘夷運動が身分や階級・性別・年齢をこえて日本全土にひろまり、呼応するように、とおく忘れさられていた尊皇思想を覚醒させ、ふたつを政治的にむすびつけていく大事件である。
堰をきったように、桜田門外の変以降、たしかに天下は討幕へ、さらに明治維新へと急激な大転換をとげていった。だが、当該暗殺事件はあくまでも江戸末期の出来事である。
あるいはべつの見解として、110年ちかく前の1909年十月二十六日に暗殺された初代韓国統監伊藤博文(日韓併合にたいしては慎重にとの立場をとっていた)はどうか。だが事件は、現中華人民共和国黒竜江省の、ハルビン駅ホームでおこった。
ただし歴史的にみて、影響としてはおそらくいちばん大きかったのではないだろうか。翌年、日韓併合という出来事(公平にみて、この条約には功罪両面があった)を世界史に刻んでしまい、やがては軍部や戦争肯定派の政治家が提唱した大東亜共栄圏なる幻想の名のもとに、民衆を塗炭のくるしみに陥れた戦争へと突きすすみ、あげく、二千万人以上(各国発表をもとにした推定累計者数)というたっとすぎる命を犠牲にする暴走をうんだ、その甚大すぎる悲惨のひとつの誘因あるいは契機になったとする歴史学者も相当数存在するからだ。
初代韓国統監伊藤博文暗殺とは、のちに続発する重大事態にかんがみ、まさに大事件だったのではないかと。
さて、では、首相の座からしりぞいたいわば“過去”の人物の暗殺、にもかかわらず、当件が空前の大事件だ!などとなぜいえるのか。
推理小説の名探偵がなぞ解きをラストにまでとってじらすに似て、その理由をあかせる状況にはいまはないが、およぼした影響のゆえだとそうおもっていただきたい。
なんの、それでは得心できないと云々。
ならば、補足的説明でおゆるしをこうしかない。
五・一五事件においては犬養毅総理大臣ほか一名が、二・二六事件では高橋是清大蔵大臣や斎藤實内大臣ほかが命をおとしている。
太平洋戦争へとつうじていくこれらこそ、たしかに大事件である。日本国とそれを構成する邦人のみならず、東・東南アジアはむろん世界的にみても、歴史上の一大事件だ。ただいな影響において、否定のしようもない。
しかしながらこんかいの事件には、まだ計りしれない未知の領域があり、それが将来の日本国民にたいし、ただいな影響をおよぼすだろうとは計れるからである。時間とともにジワリとだがかくじつにダメージがあらわれてくる、ボクシングのボディブローのように。
=閑話休題=
原はさらに、なやましげな表情になっていた。「きみたちのなかには、というよりほとんどのものがそうだろうが、内部の人間をうたがうのを疎ましいとおもうにちがいない。だが、被害者が超大物だけに世間の注目度もおおきい。よって、内部にたいし手をぬいたことがマスコミなどに露顕したばあい、ただではすまない」
二十一世紀になって早くも二十二年、やんぬるかな(~あああ)警察の不祥事は、へるどころか増加の一途である。それだけに世人の眼がきびしいなかにあって、しかも今事件は海外メディアも大々的に取りあげただけに、捜査責任者であるいじょう、不祥事が発覚すればまっさきになんらかの処分、換言すれば詰め腹をきらされるのがじぶんであると知悉しての発言であった。
「ゆえに私心をはいし、徹底的な捜査をしてもらいたい。あえていう、捜査対象となるひとの数は慮(おもんばか)るまでもなくたいへんではあるが、ここが諸君のデカ魂のみせどころなのである」有効な捜査方針をたてられない原は、会議の途中にもかかわらず、こんなハッパをかけるしかできなかったのだ。
ところで、世間注視のどあいもふくめた事件のおおきさもさりながら、解決の困難さも並たいていではないように、現時点においておもわれた。そして、原の予測は不幸にも的中するのである。
というのも、原刑事部長にとって悲願であり野望でもある早期解決のまだまだ範疇にあった事件発生および第一回捜査会議から三日目。にもかかわらず、はやくも迷宮をさまようような捜査状況へと陥ってしまっていたからだ。
が、それは捜査員の怠惰のせいではなかった。
犯人像すらまったくみえてこないくらい、捜査にひつような材料に欠乏しているせいだ。有力な遺留品や情報がまったくないという事態である、狙撃現場を特定できたにもかかわらず。
いっぽう、原とはちがい、刑事としてただ犯人をとらえたいだけの星野や矢野らが頭をいためている、捜査が進展しない理由。ざんねんながらいくつかあった。
その1 場壁元首相の身内と五人の秘書および個人事務所の各事務員をふくむ周辺人物に、まっさきに事情聴取をした。身内といっても妻とその前夫とのあいだの一人娘だけで、夫婦間に子供はいなかったのだが。
ことし三十歳になった(つまり、たとえば参議院議員の被選挙権取得年齢にたっした)ばかりで政治にはド素人の一人娘以外に跡とりがいないという理由からだろうか、それとも、以前は元首相場壁俊蔵の秘書から入り婿になったのを主(あるじ)側の人間として軽くみていたからなのか
――犯人が逮捕されたところで場壁がいきかえるわけではない――との共通認識が、未亡人や義理の娘を筆頭に事務員にいたるまであった。
もし被害者に実子がいたとして、その人物ならば犯人逮捕こそ最優先でとねがうはずだ。なぜなら、実子ならば愛されて成長したであろうから、そのぶんなにをおいても犯人を憎んだにちがいない、たとえ父親の世評がよくはなかろうとも。
そのてん、帳場には、とくに早期事件解決を希(こいねが)う原部長にとって、実子がいなかったことは不幸であった。
くわえて場壁が、俊蔵亡きあとの主側にたいししだいに暴君ぶりをむき出しにしたせいで、けっか、だれからも愛されなくなっていたのである。だから極端なはなし、かれの死を心底で悼むものはひとりとしていなかったのだ。
ぎゃくに、犯人に感謝している人間だが、あるいはいるのかもしれない。
捜査員がうけた印象は、すくなくともこんな具合であった。
ゆえに、犯人逮捕に協力的ではないのだ。否、真相解明にはしょうじき、あるおもわくから消極的だったのである。
ほんらいなら補欠選挙には同情票があつまり、よって弔い合戦の名のもと、無名の新人候補でも楽々当選するのがつうれいだ。
しかしそのじつ、場壁陣営としてはそんな楽観視はできないでいた。場壁とは直接の血縁でない義理のむすめを擁立させるもくろみなのだが、若すぎるだけでなく政治にはまったくの素人だからである。
それでもまずは後援会を納得させ、全面協力をえねばならない。かれらの支援なくしてはかてるはずないと、最優先課題として陣営はかんがえたのだった、なんどもしるすが犯人逮捕とは比較にならないほどの優先事項として。
さらに、かれらのおもわくをいえば、殺害動機の明瞭化が故人の恥部をさらすことに、最悪のばあいつうじるかもしれず、ひいては場壁家の暗部を喧伝することとなり、補欠選挙で場壁陣営が擁立する未亡人のむすめの当選という大目標に致命的不具合をしょうじさせる、そんな事態をもっともおそれていたのである。
企業が利益をあげることを第一とするように、かれらは選挙にかってはじめて、陣営の存在価値を発揮できるのである。ぎゃくに敗戦によって、どんなバッシングをうけるかわからない。それをいちばんにおそれるのである。
ゆえにできるだけ故人の行状をかくしたい未亡人が中心にすわった、そんな場壁陣営のおもわくが、捜査陣にとっては動機特定の困難さをしょうじさせ、犯人像をまったくうかびあがらせなくしているのではないか。
その2 都内と神奈川県・埼玉・千葉と、数はそうおおくない銃砲店を、矢野係中心にあたったけっか、過去三年のあいだに凶器と同種のライフルを購入したものが二十人いた。該当者があんがいすくないのは、猟銃購入者がほとんどだったからだ。
この二十人すべてにあたったが、凶器であればでるはずの顕著な硝煙反応がどのライフルからもでなかった。ライフル銃は構造上とくに、硝煙反応をけすのが不可能にちかいため、かれらは被疑者からはずされた。このあと首都圏全体へと範囲をひろげ電話にて銃砲店をあたったが、この方面では、犯行につかわれた銃と同種を購入したものはいなかったのである。
そのりゆうをあげるとすれば、銃購入の手つづきがけっこう煩雑だからかもしれない。
銃砲店店頭だけでなく電話やメール・ファックスでも申しこみはできる。
ただし米国とはちがい、ここからの手つづきがたいへんで、並たいていでは許可がおりない。身分証はむろんのこと、銃の講習修了証明書か教習修了証明書などがまずひつようとなる。
そのうえで譲渡承諾書をよういし、銃の購入申請書類一式を購入希望者の所轄警察署に提出し、審査にとおったのち、同警察署が発行した許可証をえなければならない。とうぜんだが日にちもかかる。
そんなことをすべて承知の原部長は、警視庁下にあるすべての警察署に、銃の所有者名簿を作成し提出させた。また、警察庁にたのんで各県警にも同様のリストを提出させたのである。事件が事件だけに、各県警もかんたんに了承したのだった。
リストをもとに、相当数の捜査員を投入し、またもや警察庁をつうじ(じつは警視庁と神奈川県警は仲がわるいゆえだが)各県警にも協力をえて、銃所有者すべての家宅に捜査協力を願いでるというかたちで訪問したのだった。
基本的に、こばむ対象者はいなかった。警察ににらまれたらあらたな銃購入が困難になるだけでなく、いままでの銃所持にも支障をきたしかねないからだ。
しかし、やがてすべてが徒労におわるのだった。大山鳴動してネズミいっぴきもとらえられなかったのである。
同時並行ですすめていた、藤川による裏サイト利用の銃購入しらべも、その見とおしはすでに暗かった。
その3 狙撃現場ちかくに設置された防犯カメラの映像を、人員をさいて精査させている。忘年会には不向きな月曜の午前零時すぎだけに、人どおりもさほどではないにもかかわらず、不審者やうたがわしき人物をいまだ見つけだすことができないでいる。
その4 初動捜査における検問の不発、および訊きこみで有力な目撃者があらわれてこない現実も、こんごの捜査への暗雲を予感させた。それでもとうぜんのこと、狙撃現場ちかくでの訊きこみは続行させている。
そんな大事な訊きこみだが、時間とのあらそいでもあった。事件発生から六十時間以上の経過は記憶をうすれさせるばかりか、べつの記憶と混合させ、事実とことなる記憶へと変化させてしまうこともしばしばなのだ。
そんな誤記憶のせいで、捜査がミスリードされた事例もけっしてすくなくない。
さらに、時間の経過が犯人に証拠隠滅の猶予をあたえるだけでなく、国外への逃亡もいっそう容易にする。
あるいは、すでに高飛びしたかもしれない。
そんな見方もひろがるなか、事件発生から八日後、犯人高飛び説はかんぜんにきえたとおおくの捜査員がおもうにたるたいへんな事態がおきるのである。
そのじつ、星野や矢野たちが懸念していた事態の競起であった。ただし、いまはまだそれをしるす時ではない。
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