そんなことより、肝心の“マンハッタン計画”とは…?

知るひとぞ知る、悪魔のたくらみである。日本人にとっては、最悪ではすまない奸計だ。否、全人類にしても、良識ある人々ならずとも逆鱗にふれる悪計である。

読者にたいし、この謀略自体をあきらかにすべきであろうと。だがこれも、いますこしの猶予をいただかねばならない。

なぜなら、これからの話を進めるうえで、やはり、かれが選択した宇宙域が正しかったとまずは知っていただきたいからだ。

ワームホール自在作出装置の完成に目途がついた数日後、地球歴で2099年二月ニ十日の夕刻、かれの生涯においてまちにまった瞬間が、ついにやってきたのである!

600Kmむこうの宇宙空間に、ワームホール出現の前兆である光のごく微小な(ひず)みができはじめたからだった…。

 

宇宙境の長いワームホールという名のトンネルを潜り抜けると、(雪国ではなく)太陽系まで半年ほどの宇宙だった。

やがてドリーム号の窓から碧い地球がのぞめるころ、つまり半年間の光速航行ののちには、ワームホール自在作出装置は完成しているはずだと。

だとしていまのいま、ついたのだ、彦原が望んだ過去の地球がふくまれる宇宙域に、やっとついたのである!

おもわず武者ぶるいした。地球人ではじめてタイムトラベラーになったから、では決してない。そんな浮いた気持ちになれていたら、どれほど幸せであったろうか。

これからいよいよ、みずからがきめた死と破壊に満つる大義をはたす、おぞましい旅がはじまるのだ。じぶんのせいで、辛酸や苦汁ではいい尽せない事態が惹起するのである。そうあらためておもったとき、双眼に光ったものは慙愧の涙であった。

いっぽう、心のべつの層から異質の感情が再び浮かびあがってきた。

一度目は、ワームホール出現の前兆を知った直後。とうぜん、この銀河にくるまえだ。MCが弾きだした年月日をみた刹那に湧きたった、これ以上を味わったことのない高揚感であった。

任意の過去につうじるワームホールがいつ・どこでできるかを知る、いわゆる彦原式予測理論が正しかったことの、科学者としての雀躍など陽炎(かげろう)と化すほどの高揚感だった。

そしてワームホールをくぐった直後のは、身震いするほど実感をともなった高揚感の再現であった。運命以上の存在にみちびかれるようにこの宇宙域にやってきたのだという想い。

不可思議、ではとても形容できない、ヒッグス粒子生成(約十兆分の一の確率)ほどの奇跡が眼前に。砂漠に落とした一粒の砂金を見つけだすにひとしい思議(=深い思考)不能が、実際に起きたのだ。

本来なら、科学者としては疑ってかかるべきこと。確率的にはありえないからだ。しかし完遂のための理想的な年月日に帰着するという現前の事実、疑いようのないこの現実に身をおいた今、逆に、大義遂行こそみずからの使命と確信した、天の計らいにちがいないと。

…だがほんとうのところは、天が命じた使命だと確信したかったのである。心の奥底では、極悪をうむ大義と阻止をねがう良心とが葛藤していたからだった。天の計らいとの確信こそ、大義に正当性をあたえる名分であると。そう強くおもってはみたものの、葛藤は消滅しなかった。

それでも、実感をともなった高揚感のせいでほほをつたったものは、ほんの四分前にながした慙愧の涙とは、微妙に味がちがっていた。

ついたのは、奇跡の時空である。MCのディスプレイが表示した帰着日(先述したように過去の地球、ゆえに帰還ではない)は地球歴で、1944年六月十五日だったからだ。

おもわず溢れでたものは、随喜の涙であった。

目的達成のためには願ってもありえないほどの、まさにピンポイントの最適日だからである。直後、摩訶不思議な(えにし)をかんじ、心も身もひき締まった。宗教には縁のない彦原だが、これは天の配剤、否、もはや天佑であると、まるでいい聞かせるかのように。そう、なんどもなんども。

宇宙で三年三カ月余、28586時間あまりまった甲斐が、まさにあった。

だがもしあらわれたのが、最適日より半年以上まえにつうじるワームホールだったなら、=がんばって自在作出装置を完成させればええ=それで、もはや適宜のワームホールが出現するのを待つ必要はなくなるからだ。

奇天烈(きてれつ)ともいえる(えにし)のごとき日の帰着に、「この使命をはたすべく、宿命のゆえにじぶんは日本に誕生した」と。つまりすべてにおいて必要な条件がそろった2064年五月三日に誕生したと、実感した。あえていえば、それ以外はかんがえないように努めたのである。

坂本龍馬を、幕末すこしまえの天保六年の土佐に誕生させたのは天の配剤、と司馬遼太郎氏がみたように(文春文庫版“龍馬がゆく”の最終巻巻末およびあとがきで、そのように記述している)、だ。

彦原の想いにつうじているので、原文(暗殺直後の描写)のまま記載させていただく。

 

…倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駈けのぼった。

天に意志がある。

としか、この若者の場合、おもえない。

天が、この国の歴史の混乱を収拾するために、この若者を地上にくだし、その使命が終わったとき惜しげもなく、天に召しかえした。(一行、略)

しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。

            完

            (続いて)あとがき

日本史が坂本龍馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか。(抜粋)

 

かれの幕末における壮挙がなければ、日本はどうなっていたか。触手をのばしていた英仏による植民地化がありえたということだ。先見のない幕府官僚は甘言のフランス軍をたより、薩長はそれぞれが英国海軍と開戦し多大な損害をこうむった。結果として、英国と両藩の関係が濃密になり、軍艦や銃砲を購入するなか、英国につけいる隙をあたえたのだった。薩長連合がもしもならず、倒幕派と佐幕派間での内戦が長くつづいたなら、日本は英仏に蚕食されたにちがいない。そら恐ろしいことだ。龍馬の晩年の活躍こそ、日本にとって天佑であった。

ところで船内における彦原のみじかくも大きな、そして相矛盾する感慨をよそに、MCが制御する船は、ワープ航法で一路、1944年十二月十五日の地球を目指していた。

 

彦原は、既述の特製衣服(ハイテクスーツ)を着用したことで、レズリー・リチャード・グローブス米陸軍准将にまわりからみえている。PCが調べあげた人物デ-タ(顔から声、身長と体型、制服など)をもとに、ほぼ完璧にバーチャルリアリティー化したからだ。

心配があるとすれば、それは、まず声だった。

二十世紀なかごろの録音技術は未熟なため、音源が粗悪だったからである。それと皮膚の色も懸念材料だ。白人だとはいっても厳密には差異がある。日本人も、色の白いひとから黒いひとまでかなり差があるようにだ。グローブスが陸軍准将だったころのは映像も写真もすべてモノトーンである。PCに解析させカラー化したが、それでも微細な色の識別まではできなかった。PC相手に苦労して捜しだしたカラー写真は初老期(1961年撮影のスペリー・ランド社副社長時代)のもので、しかも画像が粗い。プリント等の写真技術もお粗末そのもの。参考程度にしか役にたたないシロモノだった。

それでも、初老期のも解析するなどの最善をつくし、もうこれ以上のバーチャルリアリティーは望めないものにした。==あるいは、作戦に少々の修正をくわえて==万事乗りきるしかなかった。できることなら、准将をよく知る人間にあわなければいいのだとも。それでも万が一遭遇した場合は、臨機応変に対応しようと腹をくくるしかなかった。==いつもと顔色がちがうとか指摘されたら、「ここんとこ疲れがたまっているとか、昨夜の深酒が原因かな?とか、内勤(あるいは外勤)つづきだったからかな」で、なんとかごまかせるやろう==と。

 読者はすでに、バカな作者だとおもったにちがいない。言葉はどうするんだ?英語にもとうぜん、方言や訛りはあるぞ。いや、そのまえに、筆者も心配していたその一、声色のちがい、いっぺんにバレちまうだろうと。エトセトラ、エトセトラ。

それらについて、彦原にぬかりはない。そのためのハイテクスーツなのだと云々。

その高性能の一部を詳解すると、外からはみえない音声変換兼用の翻訳器を装備している。それをとおして、しかも彦原が頭でかんがえた文章を、聞き手の母国語に変換し相手につたえる、もちろん外見(そとみ)の人物の声音で。とくにグローブスに化けているときだけは、准将が日ごろ使用する米北東部(なま)りの米語として、相手の耳にとどくよう設定している。

芸がこまかいのは、念には念をいれるためだ。グローブスの話をきいたことのある人間がもし不審を抱けば、不測の事態を引きおこしかねないからである。

とにかくかれがたてた計画だが、すべてにおいて細心の注意が必要なのだ。

発声はそれでいいとして、こんどは相手の外国語をどう処理するかだが、耳に装着した翻訳器が瞬時で日本語に訳してくれるから、こちらも心配ない。

発声用と聴音用、ふたつの翻訳機だが、英語専用というわけではない。というのも計画において、接する相手は米人だけではないからだ。

彦原の計画において、敵は米国だけではないと…。

いやはや、また先走りしすぎた。

要は、ハイテクスーツを着用すると変装と会話が自在となるのだ。

しかも、である。相手にみせたい表情を頭でかんがえただけで、それをバーチャル映像として具現化できるのだ。驚きも当惑顔も卑屈な笑顔も自在なのである。逆にみせたいとおもわなければ表情とはならない。これだと、本心を気取られずにすむというおおきな利点がある。(悪女には不必要な機能だが、いや失敬)

ときにそのグローブスであるが、1942年九月十七日、かれがまだ大佐のときに、“マンハッタン計画”の最高指揮官に任命されていた。准将には六日ののち昇進している。