殺しあいをきそう、あまりにバカげた、このような戦争そのものを、彦原は嫌悪した。イノセント(=罪のない)な人々の命を奪いあう戦争を、つよく憎んだのだった。

しかし離陸から四分、眼下の光景をまのあたりにしてしまった。

そのときから、こんどは自身を憎悪するのである、地上の人々がながした、大地を染めんばかりの鮮血、そんな大量の血に(まみ)れたおのがからだも、そして悪魔の行にけがれた心も。

午後三時三分、八百枚の爆弾が四つの地域でいっせい炸裂した。そして、誘発されての核の大爆発。

眼球をこがすほどの強烈な光をはなちながら屹立した四本のキノコ雲を眼にしたあと、心身におおきな狂いが生じはじめた。やがて、崩れおちるようにして船床にへたりこんだ彦原。

…葛藤のすえ、懊悩のはて、しだいしだいに自己の存在すら意識できなくなっていった。

大量殺戮をしでかすには、しょせん、心根がやさしすぎたのだ。どだい、ムリだったのである。

魂のない、木偶(でく)(価値のない存在)以下の物体にしか、もはやみえなくなった。人格を有するひととしては、もはや存在すらも消えたかのようなその姿、肝心の精神が、ブラックホールに、まるで呑みこまれてしまったかのように…。

 

天才科学者の蛮行で、地上から原・水爆は完全に消えさった、まちがいなく。

八百のプラスティック爆弾がうんだおそろしすぎる災禍。

その結果として、広島と長崎における“残酷の極み”が行使されずにすむのだ。使命、否、天命をはたせば結果そうなると当初より、じぶんにそう言いきかせ、おのが蛮行を必要悪と得心させるつもりだった。

さらに人類はこののち、核兵器への絶望的脅威からもすくわれる。放射性物質から地球もまもられる。それらが自身にとっての救いとちいさな安寧になる、そう確信したからこそ、夢、いや大義完遂のため、じぶんの人生の総てを、そして魂までも捧げつくしつづけてきたのだ。

しかし大義のためとはいえ、おおきすぎた犠牲。払いすぎた代償。

いくどとなく想像しながらも、あえてなした完遂の帰結。善なる歴史変更がせめてもの救い…となるはずだった。

だが…結句、かれ自身の精神的救済や期待も、大爆発に巻きこまれたのである。

それにしても、彦原ともあろうものが実相に気づかなかったとは、第一番目の、そしてあまりにおろかな迂闊(うかつ)であった。

核兵器の完全消滅にばかり気をとられていたからなのか。

天佑(=天の助け)や天啓(=お告げ)とかんじ、また確信していたが、じつはおおきくかつ取りかえしのつかない錯覚であった。

信じた、そのあいては、かれの心の奥深くにひそんでいた悪魔だったからだ。

このことを看過したのは、若さか焦燥のせいか。

天助ではなく天魔(魔王)の謀略だったことが、二十八年後あきらかに…。

しかし、その実体だがいまはまだ明らかにできない。

 

ここで一旦、かれのことはおいての一閑話。

彦原が1944年十二月十五日の米国にやってこれたのは物理学者ジョン・ホイーラーのおかげでもある。“マンハッタン計画“で重要な任務をはたしたホイーラーが1957年、理論上その存在をとなえ命名した”ワームホール“、それを活用したからである。

宇宙船からはるか眼下でおきている甚大な大量殺戮の犠牲者のなかにそのホイーラーがふくまれていること自体、見かたによっては皮肉というべきだろうか。

大量殺戮兵器を創ろうとしていて、ぎゃくに、それを阻止するための巨大破壊に巻きこまれたのだから。

しかしホイーラーとてやられっぱなしではなかった。復讐ではないが、殺戮者の心神を、深々(しんしん)とした(ホイーラーが命名した)ブラックホール然にまんまと引きずりこんだからである。

じじつ、悶絶のまま、ついにそこから抜けだせなくなったからだ。

 

核爆発がもたらした超高熱や放射性物質などまったくとどくことのない、高度75Km。そこは対流圏や成層圏よりはるか上空の、中間圏とよばれる大気圏である。

高度75Kmまでは垂直上昇しそこで船体を水平にしたのだが、それには理由があった。みずからに課した義務をはたすためである。

その義務を履行したことじたい、いかにも彦原らしい。

正直いえば、眼をそらしたまま、つぎの目的地へむかうという選択肢もあった。いや、そうしようかで、迷った。眼下の実態をみれば、うけるショックがいかばかりか、わかっていたのだから。

それでも、真摯で誠実な性格に由来していた。よりせいかくに記するならば、はたさずにはおれなかったのである。じぶんがなした悪逆非道に眼をそむけては、被害者たらしめてしまった方々にたいし、残酷な加害者として申しわけがたたないと。

せめて、心からわびなければ…。

数万人の命をうばっておいて、なにをいまさらとの良識の見解、反論のしようもないこと、彦原にもわかりきっていた。なぐられようと足蹴にされようと土下座をしてわびるしかないとも。

ところで、彦原をのせた宇宙船が核爆発に巻きこまれることは、どうやらなかった。《案ずるより産むが易し》という結果になったわけだが、実際は虎口をのがれたがごとく、どうにか間にあったのだった。

その彦原だが、計画どおりじぶんが助かってもそれじたいを卑劣な行為、とはおもわないようにときめていた。==ともかくいまだけやから==と、そう努めるつもりでいた。

まだ責務を完了したとはいいがたいわけであり、だから、すべては大義のためと言いきかせるしかないと。

しかし、計画だおれという残念なことばがある。

結論からいえば、責務完了とはならなかったのである。

無機質の宇宙に滞在しつつ、爆発物を製造するなど人間らしいいとなみとは無縁どころか真逆となるのみならず、ながき孤独と寂寞が、さらには完遂こそ使命と決した非情が、精神をにげ場のない暗穴に追いつめてしまった、のだろう。

…地上はるか、中間圏に到達したドリーム号の超高性能カメラがスキャンしたモニター映像。そこにあったものは、アメリカ合衆国の四つの地点で林立した、大小様々のキノコ雲(原子雲)、最大のものは10Kmの上空にまで到達したのだった。

それが意味するもの。

大地に(むくろ)累々(るいるい)たるの酸鼻(=むごたらしく痛ましいこと)や無惨。

覚悟のうえとはいえ、地表の厳然たる事実を想像すると、さすがに息がつまった。

しかも漸次治まるどころか、呼吸がみだれだし苦しくなってきたのである。つぎにめまいとはげしい動悸が襲いきたり、じぶんのからだを維持できなくなった。過換気症候群の症状であった。

五年いじょうも悩み苦しんだせいで、すでに全般性不安障害をわずらっていたが、それが心の奥底でひそかに進行するなか、四本できた眼下の殺戮雲をみてしまい、一瞬にしてパニック障害を発症したのだ。

だが、呼吸がみだれだした段階の彦原は、苦悶しながらも“膨大な”や“莫大な”ではいいつくせない尊すぎる犠牲者たちの命に、そしてその方々の祖父母、両親、子どもたち、妻、兄弟、恋人たち、友人たちなどにも、心からわびるとともに、ただただ黙祷していた。

しらず洩らした嘆息。消えさったあらゆる命に、そのていどではゆるされるはずもないが、おもわず深く(こうべ)をたれたのである。

寸刻ののち、しでかした過ちとつきあげる悔いのため、涙がとめどなく溢れでた。目から垂直に、おろおろ涙がハイテクスーツの足のつけ根に落ちつづけた。

それでも自責はおさまらなかった。決壊した心が、絶叫となって現じたのである。絶望の声音が、ブリッジに響きわたった。彦原のむねには、自身への怨嗟と憎悪の念が反響したのだった。

本来、かれがめざした、いや(こいねが)ったあらそいごとのない“平和な世界”とは、あまりにかけ離れた残虐な激甚殺戮だからだ。

地獄図。地上で繰りひろげられているのは、絵空事ではない、まさに、現実の地獄であった。

計八百枚の爆弾による猛烈な炸裂で粉々にふきとんだ人々。核爆発がもたらした数万度の超高温で瞬時に融解した命。強烈な熱線でからだの水分を蒸発させられ黒い塊となった人々。音速をこえる激烈な爆風でバラバラ、否、粉々になった命。劫火に骨と化した人々。猛炎にもがき苦しんで息絶えた生命。吹き狂った三千度の熱風で気管や肺が瞬時にやけて死んだ人々。秒速500メートルの衝撃波で骨までも粉砕された命…。命、命、命……。

そして…放射性物質に汚染されて血へどを吐きながら悶死する人々。いやいや、苦悶死したのは人間だけではない。いとけない犬や猫も、だけでもない。ほかのかぞえきれない小動物や大小無数の植物など、精一杯いきていたありとあらゆる命を、彦原のなした暴虐行為が奪いさったのだ。

そのあまりのあり様。どんな言葉なら、すこしでも事実にちかい凄絶として言いあらわせるだろうか?

酷すぎにすぎたるがゆえに、事前の想像段階ですでに確信していたのだ、かならずや遂行の(かせ)となると、だからおもいだすまいと。それでもつい蘇ってしまった広島と長崎の資料館での写真や展示物の数々。

少年時、激情に身悶えながら目にやきついた惨禍だった。「あまりに酷い!」が、印象のすべてであった。

そうしての、宇宙滞留最後の前日だった、ようやくのこと、懊悩の封印に成功したのである。やるしかないと決したからだ。

にもかかわらず眼下のキノコ雲が、惨禍の記憶を湧きいでさせ、(さん)(こく)(=無慈悲にむごたらしい)のイメージとなって、ぐるぐる渦まきはじめた。空前の凄絶きわまる写真がつぎつぎに蘇り、やがて頭のなかを占拠したのである。

はからずも嘔吐してしまった。

下界の地獄にただただ懺悔しながら、それでもゆるせずに、じぶんを苛み、呪いつづけたのである。

とり返すことのできない滅亡の連鎖が、地上では…。

嗚呼、あわれ。いまやっとわかった。なんということか、「僕こそが悪魔だったのだ!」

しでかしてから、イヤといほどにおもいしった実相と悔恨と。想像していたいじょうの自責であり煩悶だった。

しかし、

じぶんを罵りつくした彦原。船床に頭を打ちつづけた彦原。

そのあと、悔恨や自責を自覚していたかどうか、もはやあやしかった。すでに正気ではなくなっていたからだ。

数瞬ののち、脳がわれんばかりの痛みにおそわれ、のたうちまわった。

さらに、絶命前の酸欠の金魚のように口をパクパクさせだした。呼吸そのものが困難になったのである。

三年三カ月余いた宇宙。船窓のそとには生命のない真空と、はてしない暗黒が存在しているだけだった。

そんな宇宙と、宙に視点の定かでない(ほう)けてしまったかれの心は、同一無異となった。

 

事前においてすら悩み迷い苦悶の日々をおくったのは、かれが真摯にものをとらえ、誠実そのもので生きてきたからだった。

そんな彦原、苦しみもがきつつの果てに、それでも信条や信義、生きざまとはあい矛盾するのだが、肚をきめて災禍の元凶になる道をえらんだのである。

決断のとき、だから叫んだ。「断罪ならあまんじて()ける。けど人類は、核兵器根絶の手段を、百五十年たってもまだよう見つけへん。­このままでええんか!」怒号のあと、もっていき場のない無念が拳をつくり、足のうえで小刻みにうちふるえていた。

各国での団体や市民レベルにおける反核運動、学識者等による原水爆禁止(あるいは廃絶)運動や国際的核軍縮や核兵器削減云々がいずれにしろ功を奏さなかった現実。

たしかに、彦原はまだ若輩であった。

それゆえ、良識的であるがゆえに遅々としてすすまない核兵器廃絶運動が、まどろっこしくて仕方なかったのだ。数多(あまた)の運動家の尽力や精一杯の活動を見聞し、理解も、気持ちのうえでの応援もしてはいた。

だからこそ、いったいいつまで待てばとひとりでいきどおり、やがては、核兵器廃絶運動の成就を見限ったのだ。

かといって無為ではいられなかった。若さゆえか、無為を忸怩(じくじ)(恥いること)とみなしたからだ。

そして決断した巨大虐殺ではあるが、だから、復讐ではなかった。

前述の論文にあったように、原爆投下は真珠湾攻撃にたいする報復の可能性もおおきかったわけだが、彦原の蛮行はあきらかにちがっていた。

太平洋戦争時に、沖縄での地上攻撃や本土への原爆をふくむ連日の空襲などで、一般市民を甚大殺戮してきた米国。その米国にたいしての報復では、けっしてなかったのだ。

ただただ、核兵器を地上から消滅させうる唯一の手段としんじたからこそ、やむにやまれず実行したのである。人類と地球をあやうくする“悪魔”を完璧に駆逐するいちばんたしかな方法、それは創らせないこと!だと。

そのためにはマンハッタン計画を、核兵器製造にかかわった科学者とあらゆる成果や資料および建造物などを、存在しなかったがごとく総て消しさることだった。

けっしてゆるされざる手段をもちいてでも。

こうして、十九年におよぶ積年の悲願を実現したのである。

X社の研究所ではもちろんかれだけだが、一日十二時間の研究、ひと月に二日しかとらない休日、青春を謳歌するよろこびや快楽はすべてなげ捨てさるのみならず一顧だにもせず、じぶんの全人生をつぎこんでの連日連夜、没頭するがごとくにいそしんだ。

破天荒(かた破り、は誤用)の研究だけに、さきのみえない闇夜に閉ざされてしまったことも数多で、苦しいだけの、まさに闘争でしかなかった。

悲願達成のための、計十九年あまりの努力は、だから筆舌につくしがたかったのである。

しかし、…にもかかわらずだ、達成感が湧いてくることは皆無だった。エンケファリン(先述、達成感や陶酔感を演出する脳内成分)は、まったく分泌されなかったからだ。

いや、達成感どころか、天才の精神は、死滅してしまったのである、ついに、ついには。

しつこいが、達成感や充足感が絶無だったのはいまだ完遂していないから、つまりソ連の原水爆製造完全阻止というつぎの目標が達成されていないから、ではもちろんなかった。

では、想像したいじょうに犠牲が大きすぎたからか?

名門各校の大学生や高校生などを、さらにはなんの罪もない所員、従業員や軍関係者を大義のためとはいえ、大量殺戮したからか?

それとも、広島・長崎ののち、人類にはもはやてに負えなくなった“魔物“を創造してしまったことを心底より悔いそして反省し、核廃絶運動をおこす科学者たち、所長のオッペンハイマーをはじめ、レオ・シラード、エンリコ・フェルミたちまでころした罪のおもさがドンとのしかかったからか?

犠牲となったニ万人超の人たちの家族や恋人、友人たちを悲しませる仕儀にたいしてか?

知ろうにも、溶解でもしたかのように、脳が機能しなくなった彦原。

だからその肚を正確にしる(よし)はもはやない。だが理由として、上記はすべてあてはまるのではないか、そう思議するのである。そのうえで、

下界の地獄を直視した刹那、敬愛してやまぬ平和主義者のチャップリンが、かれの所業にたいし、悲哀と憐憫(れんびん)にみちた面持ちをみせるであろう。それを想像し、胸がしめつけられたからでもあろうと。

彦原にとっての最高峰…希望そして人間の可能性、さらには宇宙と対等の存在と謳い人ひとりの命はなによりも尊いとうったえた名作“ライムライト”。同様のつよい想いで平和を希求した“チャップリンの独裁者”。巨星はゆえに、ヒトラーにたいし、おのれの命をかけて闘ったのだ。

==それにくらべ僕がしでかしたこと、ああ、なんと情けない…。すくいがたい、ちっぽけな人間やった…==凄惨を現出させたことが、魄を消滅させる引き金となった。かれの美徳であるやさしさゆえの心裡の声であった。

人へのやさしさを(たた)えた喜劇王の独特の表情をおもうと、じぶんのあまりの愚劣さに身と心の置き場をなくし、茫然とたちすくんだのである。

そのあとの彦原は、本懐とはうらはらな激甚殺戮を目のあたりにし、崩おれ、血涙をながすとともにただ詫びるしかできなくなっていた。

惨絶な甚大殺戮は、もとより承知していた。

にもかかわらず、百聞は一見にしかずではないが、巨大なキノコ雲を現実のものとしてみてしまうと、じぶんで自身がわからなくなってしまったのだ。

事前の想定など、あくまでも想像でしかなかった。

現実が、かれを再起不能となるまでにうちのめしたのである。

そして、頭のなかが宇宙のように真空になった廃人然の彦原茂樹が、そこにただぽつねんと……。

ならばやはり、かれはキノコ雲をみなくてすむようにすべきであった。その方法なら、なにもむずかしくはなかったのに。

想定では、相当ていど苦しむだろうと。しかしそれですむと、言葉はわるいが、そのていどに高をくくっていたようだ。

だが、にんげんとは、複雑な思考をする生きものなのである。

それにしても、見ずにつぎの目的地へと向かわなかった理由なら、律儀な性格によると書いた。

ずいぶん前から、心の深層に沈着していた贖罪の必要性。重罪からけっして逃げてはいけないと、せめても勇気をもって現実を直視する、多大な命を奪うものとして、それだけは最低限のつぐないだと自分に課したからだった。

くりかえすが、正視が自身にもたらすにちがいない逃げ場のない厳しさ。最悪、じぶんを徹して責めさいなむことは覚悟していた。やはり、自責こそがじぶんらしい処し方であり、もっといえば生きざまそのものであろうと。

そのために、米国上空75Kmで船を水平にし、地獄を凝視したのである。

それでもめげず、最後には、完遂するのだという使命感の強靱さと、じぶんに備わった天佑をしんじていたのだった。

 

だがかれのことは、いまはしばらくおいておく。

彦原の大罪により、しかし、広島に”リトルボーイ”(純度90%以上の高濃縮ウラン23560Kgを、火薬の爆発によりウラン塊同士衝突させて核反応を起こさせるガンバレル方式の核爆弾)を投下されることなく、おかげで約十四万人の犠牲者をださずにすむのだ。

同様に、長崎への“ファットマン”(英国のウィンストン・チャーチル首相のずんぐりした体型をもじって命名された原子爆弾のコードネーム、米国の分類番号はMk.3。インプローション方式で約8Kgのプルトニウム239のまわりに火薬を配置し、爆縮レンズによって一気に爆縮させ、核分裂反応を起こさせる方式の核爆弾)投下もまぬがれる。おかげで約七万五千人の尊い命がうしなわれずにすむ。

また両市の甚大すぎる負傷者、原爆後遺症に苦しむ方々もださずにすむのである。

さらには、1945年以降のソ連への多大な技術や情報と、科学者の流出も防げた。

(本来の歴史どおりなら)原子爆弾を、アメリカだけに独占させるのは人類にとって危険と考えたおろかな科学者たちクラウス・フックスやセオドア・アルビン・ホールが、終戦以降はいっそう、ソ連へ多大な情報や技術を漏洩するのである。

戦力を平衡にしておくことが肝要とそのさきで発生する事態も見通さず、愚昧(核兵器製造をさす)の二の舞をえんじるのだ。

この愚行がソ・英・仏・中などへの核兵器拡散につうじるとはかんがえなかった愚物なればこそ、さらには人類を全滅させうる核兵器競争をもたらすとの発想もできずに…。

まさに、悪魔の所為!

あきれはてて、もはや言葉をうしなってしまうではないか。

…ともかくも地上では、愚蒙(あほんだら)なスパイのおおくもこうして消えたのである。

あわせて、これで水爆の製造も不可能になった。水爆の父とよばれた魔物エドワード・テラーたちも、かれらが構築しつつあった理論も実験記録もすべて消滅したのだから。

じつは、みずからの計画立案の段階で彦原はふんでいた、マンハッタン計画を地上から消滅させれば、ソ連は原爆・水爆を製造できなくなるにちがいない、独自に核兵器を開発する科学技術をもちえないと。

たとえ敗戦後のドイツから、核開発に従事した物理学者を多数拉致していったとしても。

なぜなら、ナチスドイツは核兵器開発に失敗し、断念したからだ。

しかしだ。

杞憂にすぎないとおもいつつも、一抹の不安がのこった。どこまで核開発をすすめていたかという当時の情報をソ連が闇にほうむってしまったために、彦原としては疑心暗鬼にならざるをえなかったのだ。

それで前述のとおり念をいれて、スパイたちの蠢動(=虫などがモゾモゾ動くすがた)やソ連の科学者たちの策動を封じこめる必要をかんじた。たしかに、これにこしたことはないのだが。

やはり、ソ連製“悪魔”創造に加担するスパイと、創造者である科学者らをこのまま放置しておくのは危険だ。計画どおり、忠実にとり除くにしくはない。ことが原水爆製造にかんするいじょう、ここは非情に徹し、完全を期さねば禍根をのこすかもしれないと。

その科学者たちとは、原・水爆の製造をなし遂げる“ソ連水爆の父”アンドレイ・サハロフと、彼の師匠のイーゴリ・クルチャトフたちのことである。

かれらは暗躍したスパイたちから情報をえて、1949年八月二十九日、米国におくれること約四年後、原爆実験に成功した。

どうじにソ連政府は、「原爆はアメリカの占有物ではなくなった」とたからかに宣言したのである。

さらに水爆実験成功は、その四年後の1953年八月十二日であった。

だが、彦原が計画をやり遂げれば、まちがいなくこれらの愚行も歴史から消えるのである。あわせて、杞憂(=不必要な心配)も消えさるのだ。

とにかく、根絶やしにするしかないと。

アンドレイ・サハロフがこののち、五十歳を前に原水爆実験の反対運動を起こし、たとえ1975年には人権運動家としてノーベル平和賞を受賞することになろうとも、やはりかれを放置することはできないのだ。

核兵器完全消滅には、人的・物理的要件の観点から、製造を不可能にすることこそ肝要である。

相手より強力な兵器をつくることに狂奔する暗愚な人類の、未来のために……。

たとえそれにより、兄とも師とも慕うチャップリンの慈愛の眼が、画像の正面にあったとき、彦原にとってはじぶんに向けられた、憐憫からやがて(さげす)みの眼差しとかんじとることになろうとも。

 

ところで、コンピュータに指令しておいたとおり、米国上空をおおきくゆっくりと旋回していたドリーム号は、真っ白い抜け殻となったままの天才にはかまうことなく、船首をすでにロンドン上空にむけ飛行しはじめていた。

 

政治・軍事あるいは外交用語として、“核の抑止力”という言葉がある。

核兵器を所有する国家間において、核兵器使用やそれをまねきかねない全面戦争をさけることができると公言(巧言でもある)している。

しかし物騒なだけの、手前勝手な詭弁(一種の巧言)だと、彦原はみている。

冷戦下のふたつの超大国や、その後、核兵器を手にした他の常任理事国五カ国による、じぶんたちの都合に依りつくりだした暴論・謀論・妄論のこの欺瞞が、国際的核廃絶運動の平和力を削いできたのだと。

くわえて、欺瞞を本気にした、あるいは大国におもねった各国の為政者や学者たちらが、世界市民レベルの団結力をよわめ、または悲願達成のための涙ぐましい努力のあしを引っぱってきた、と彦原はしんじている。

だから反核平和運動には一分の怠慢もなかった、とも。

かれは同一苦するがゆえになげいたのだった、核兵器の暴発に(おび)えつづけたまま百五十年を、結果的に無為にすごしたあわれな民衆のことを。脅威の競争に明け暮れるおろかな人類を。

まさに、そんな愚者の代表が、所長のロバート・オッペンハイマーである。

かれは、人類初のプルトニウム型原子爆弾の実験成功直後、ヒンズー教の経典の一節「我は死神なり、世界の破壊者なり」とちいさく叫んだのだった、悔恨と自虐をこめて。

1945年七月十六日午前五時十九分、ニューメキシコ州はアラゴモードの砂漠にて、悪魔が大笑したであろうその強烈すぎる閃光をとおく眺めつつ…。

それは人類がみずからの滅亡をまねきかねない、おそるべき”サタン”を誕生させた瞬間であった。

戦時下、勝つためだと、まるでとり憑かれたかのように、必死でつくりあげた原爆。

国家的最重要命令の呪縛から解きはなたれたからもあろうが、想像をはるかにこえた巨大な破壊力という絶望的脅威を目の当たりにし、世界のおわりを身がふるえる実感で知覚し、ようやく気づいたのだ。

しかし遅きにしっした。パンドラの箱のふたを開けはなってしまったのだから。

所長は、後悔ゆえに唇をきつくかんだ、そんな科学者たちには慮外だったかもしれないが、”サタン”はその強大な破壊力に由り、みずからを増殖する機能=魔力すらも手にいれたのである。

つまり、脅威の破壊力が人間に前代未聞の恐怖心をうえつけ、畏怖がうむ強迫観念や疑心暗鬼が増殖の、その最大の餌(因)となったのだ。

さて一般論で恐縮だが、では、ふくれあがる恐怖心をなだめ(しず)めるために、ひとはどんな手をうつだろうか?

歴史に如実なのだが、敵よりも強大な兵器で、なにがなんでも武装しようとする。

この方程式が意味するのは、核兵器だともっと顕著になるということだ。で、おたがいが人類破滅のおろかな競争に明け暮れることと……。

こうなると、いくら生みの親であっても、もはや、元にはもどせない。

破壊力と畏怖の念と増殖力、それらが混在し、破壊力が畏怖の念を、畏怖の念が増殖力を、増殖力がさらなる破壊力をというように、それぞれを助長させるから、だからこそ、サタンはさらに巨大化していくのである。

コントロールされるのは、哀れにも、人間のほうだった。

 

サタンが増殖しつつ、より破壊力のつよいサタンをつくってゆく。

で、抗えなくなった人間は怯えて生きてきた。あるいは核兵器の存在を無視、またはわすれることで、じつは日々の、心の安寧をえてきたのである。

危機が消滅したわけではないのに、だ。

いつ暴発するかしれない爆弾をせおっている。これが、人類と宇宙船地球号の実相なのだが。

為政者たちは、とくに危機の実態につき口をつぐんできた。一切合切を正直に告白したが最後、そのさきで発生する、あるいは責任追及?や世相の深刻化、いやそんなものではなく、収拾のつかない上を下への大騒乱を恐れているのだ。

ところで彦原。光明のない、詮ずるところ先のみえない五里霧中の航路にやがておおきな狂いがしょうじ、ブラックホールがそのいき着く先となるのではないか?

真摯で純なだけに、不安が、少年の心に募りに募ったのである。

いずれにしろサタンを創った所業だが、所長が悔みきっても《あとの祭り》…ではとてもすまされない、以後の人類にたいする、あってはならなかった反逆行為なのだから!

そんなオッペンハイマーよりもさらにすくいがたい蒙昧(あほんだら)がいた。“水爆の父” エドワード・テラーである。

水爆を「マイベイビー」とよんだこの悪魔の申し子は、オッペンハイマーが目撃したのとおなじ強烈な閃光にたいし、「なんとまあ、こんなちっぽけなもの」と嘲笑(あざわら)ったのである。

これにすぎる、ひとを凍りつかさずにおかない言動があるだろうか。

この愚物は、人類を震撼させている狂気にすらいまだ気づかないばかりか、原爆に“核融合理論”というエサをあたえつづけ、はるか見あげても全体像がみえないほどに巨大化した水爆という名の“悪魔”を世におくりだしたのである。

 破壊力たるや、雲泥の差、なのだから…。

 

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