発進まえから計画していた準備工作もふくめ、ほぼやり終え、満足の彦原。
そのひとつが特製衣服(ハイテクスーツ)の作製である。このスーツを着用すると、バーチャルリアリティ(=人工現実感)をつくりだし、他者の肉眼は虚像を実物と錯覚してしまうのだ。つまり、だれにでも化けることができる。007ジェームズ・ボンドが欲しがるにちがいないと、以前記した、一種の秘密兵器である。
くわえてMC(メインコンピュータ)と、連れてきた五台のロボットにも指示をだしながら進めたべつの準備も最大の仕事をのぞき、すべて完了したのだった。
タイムトラベルを完全実施できる装置の完成、彦原茂樹の集大成である肝心の仕事のほうも、おおかたの目途(めど)がついた。
あとはそれをすすめながら、時がくるのを待つのみである。いや、そうではない。時を待たずとも、時をつくれる段階にきている。もはや、どちらがはやいかの問題だった。
さて、発進日を起点に計算し、この恒星系では約一年七カ月後、でもって地球歴でだと三年三カ月と三日(以下の表記も地球時間である)となる日を結果的には待っている、正確にはかれのいきたい年代にリンクするワームホールの出現を、だ。
その間、感知できる範囲の宇宙域で、いままでに三十九のワームホールが出現した。
が、欲したものではなかった。まさにまさに、こんかいこそが、待望の“虫喰い穴”だったのである。
ふだんは冷徹なかれが、==えっ、こんなことって!==と、なんども見直して確かめたくらい驚きの年月日が画面にならんだのだった、かれの欣喜雀躍(=有頂天な喜びのさま)とは非対称の無表情な数字として。
==いよいよや!==同時におもった、これはやはり天佑(てんゆう)(=天のたすけや仕業(しわざ))だと。
核兵器廃絶のためとはいえ、必要悪である大虐殺の地獄絵が頭のなかで渦をまき、それでもだえ苦しんだけれど…。
読者はおぼえておいでか?彦原が精神を病む寸前だった葛藤の描写、執拗であったことを。
だが結局、天は人類の愚昧(核兵器の製造)を消しさるチャンスを、じぶんにあたえたのだ。だから、願ってもない過去につうじるワームホールがこれからできるのだと。
出現の予兆をしったのは、ほんの一時間まえであった。ワームホール予知装置もその精度性などをあげ進化させたおかげで、あと六日とニ十二時間の辛抱だと。
ところで、それまでにかれがしてきた準備とは。
核兵器廃絶するべく、彦原がかんがえだしたプラン。そのために必要な情報をあつめきり、物をつくりだし揃えること。チャンスは一回のみ、よって失敗はゆるされない。だから万全の態勢こそ必須なのだ。
さてその内容だが、読者には詳(つまび)らかにしなければなるまい。宇宙へ出立(しゅったつ)のまえに、自宅のコンピュータ(PC)に指示した具体を、である。
その一、“マンハッタン計画”の全貌を詳細にしらべさせた。施設や工場などの所在地は当然、かかわった企業や人物とそれらの所在地や連絡先(富裕層や中間層にも普及しはじめた電話のナンバーをふくむ)、そのほかありとあらゆる情報を網羅させたのだ。
その二、当時は存在していなかった事柄などの情報をしらべあげさせた。百五十年後を生きる彦原にとって、とおすぎる過去にいくのである。まだ存在していないことを口走ったり、存在していると勘ちがいして行動したりすれば、怪しまれるにちがいない。
当たりまえだが、百五十年まえの米国にじぶんをあわさねばならない。《アメリカ(郷)にいるときはアメリカ人のよう(郷)にふるまえ(従え)》ということだ。
その三、レズリー・リチャード・グローブスという名の米陸軍准将の、1944年末当時の顔と身長に体型、声と利き腕に癖、そして制服までもしらべさせた。声は、レコード盤に録音されたものがデータとしてのこっていた。利き腕や癖は、当時の記録ニュース映像などをみて知識を習得した。
むろん、それらすべてが帰着する地球で必要となるからだ。
ときに、過去の地球で必要となる爆発物をふくむ物の製作、宇宙にもっていく資材のリストづくり、数種類の設計図作製その他、地球脱出まえにすべき準備は2095年九月末ですべて完了させていた。
大気圏外にでてすぐワープ航法で到達した、現在彦原がいる現宇宙域での初仕事は、地上での計画を細部にわたり練りに練ることだった。
宇宙船発進の五日まえ、準備として船内のMCに送信しておいた。
そのデータを駆使しての米国での行動だが、最終的結論はきまっている。そのために最初はどこへゆき、つぎ、そのつぎと順番と個別の作業詳細を、その間だれに化けだれとコンタクトをとりなにを指示するか、さらにはクライマックスへと、入念な計画をつくりあげたのだ。それでも百時間とかからなかった。
ところで発進してすぐに、船内酸素量をわざと三分のニ強に設定した。帰着した地上…米国において予定している、高地での重労働に備えるためだ。オリンピックに出場する選手がからだを慣らすため、高地トレーニングするさまを参考にしたのである。
その間、五台のロボットには設計図データをインプットし、バーチャルリアリティをつくりだせる機能も搭載の、特製小型乗用飛行車を製造させたのである。
必要な資材や機材は、社にはプロジェクト用と偽って、あらかじめメイン工場に入庫させておいた。係はうたがうことなく、注文どおりに用意したのだった。
そして宇宙船発進当夜、X社の倉庫からニ千百八十六種、九千八百品目の資材と機器類を持ちこんだのだ。
全ロボットに命じ、そのすべてを活用させ、千と五十時間で完成させたのである。部下たちにみつかる心配のない宇宙にあって、時間はたっぷりあった。
またMCには、計画遂行のため新たにデータをうちこみ、べつの仕事をさせていた。
そのひとつ。最重要任務に就いている米陸軍准将に、三十数人の特定の科学者がかける電話をインターセプト(途中でうばうの意)するよう、くわえて、船外にでて留守しているときには彦原のスマフォに転送するよう、指示した。地上におりたかれが准将になりかわって電話をうけるためだ。また逆に、かれが科学者にかけるときにも有用となる。
百時間たらずで計画を完成させたあと、休むまもなく彦原は、目的遂行に必要な品々を懸命につくりはじめたのだった。髪もひげものび放題、二十五日間、つごう三百三十時間で目標とした品々を完成させたのである。がんばって急いだのは、ワームホール自在作出理論構築の時間を捻出するためだ。
……やがてのこと、知識と知恵と体力を傾倒して千八十日後、理論は、おもいのほかはやく完成させれた。十一年間の数々の失敗や試行錯誤からえた知識や知恵がおおいに役だったからだ。また、アバウトながらも理論の全容が頭のなかで徐々に形成されつつあったこともおおきかった。
この間だが、ロボットも休んでいない。飛行車完成後は、計画につかうフェイク装置や二種類のリモコン、秘密兵器としての特製腕時計等、数多いアイテムの製造に、汗をながすことは流石(さすが)になかったが、また、とくに良質なエナジー源を報酬としてもらえるわけでもないのに、それでも懸命にはたらいたのだ。
ただ彦原の髪やひげとちがって、足の役目をしている特殊ゴムのキャタピラーがのびることはなかった。
彦原とて理論構築後も休むことなく、ワームホール自在作出装置の設計図を、ニ十日あまりでつくりあげた。現在はロボットに手伝わせ、その装置もあと半年ほどで完成、というところにこぎつけたのである。部品調達のためとはいえ、おかげで船の娯楽装置はすべて解体されてしまったが。
それでも完成後はすべてを計算し、2095年十一月十八日の未明に帰還できるのだ、と。地球脱出の二十分後、つまりそれは、みなが裏切りをしるまえという時間帯である。
ドリーム号をふくむ、ほとんどが元どおりにリセットされる、ということだ。なにがおこっていたのか、だれもしらない、記録ものこっていない、となるであろう。
ただし、元どおりでない巨大なものが、ひとつだけ。唯一最終目的である、人類を滅亡させうる悪魔を消滅させた(まだ何もはじまってはいないのだが)ことだ。
地上で大義を完遂させたのちの、彦原だけがしる、いまは夢想とわかっていての血の凱旋に刹那、悪魔の笑みをもらしたのである、本来のかれらしくなく。
だとしても、この時間帯の帰還が意味すること。それは、完成したワームホール自在作出理論を手みやげに数時間後、なにごともなかったかのようなすまし顔で、出勤できる、である。
という、100%達成可能な計画、
…のはずだった。
しかしかれには“想定外の結末”が、計算上の夢想事生起(せいき)(=現象があらわれ起こること)まえに、驚天動地する暇(いとま)もなく突如やってくるのだ。
あわれ、捕らぬタヌキの皮算用を身で知る、ことになろうとは。
天才彦原は、みずからが課した使命をはたすことに一切の天分を傾けたばかりに、結果、足元を掬(すく)われてしまうのだ。
使命に全身全霊を傾倒しすぎて、そのあとの事態にまでは頭がまわらなかったのだろうか。核兵器全廃の完遂がかれには総てであり、歴史変革のおかげで、できあがるバラ色の未来に酔いしれたからなのか?
明晰な頭脳の彦原だ、すこしかんがえれば、未来を想定できたはず、にもかかわらず…。
あるいは以下の状態だったのか。
予定している極悪犯罪行為と、その直後に惹起する恐ろしいばかりの事態。こころ優しいかれは、じぶんがつくりだす地獄を想像してしまい、その先なにがどうなるか、その恐ろしさのゆえにおびえ、思考を停止させてしまったとも…。一種の自己防衛であろう。
そんな自己防衛のため、恐怖体験の記憶をあえて消去するタイプの、心因性記憶喪失という病気がある。
精神を破壊させまいと、脳が故意に記憶を消す、それはだ、脳が機能を停止するという点で共通であり、天才ならずとも、脳のサボタージュはありうることなのだと。
もしくは単に、事態がもたらす未来にまでは考えがおよばなかったのか?
たしかに、歴史上一度もおこっていないことである。あるいは、先例がない空前の未来は漠然としすぎていて想像のしようがないと、自身の思考回路がかってに身の上からきり離したのだろうか?
かってにきり離したとすれば、そこには、なにかおおきな理由がありそうだ。が理由の有無をふくめ、これものちには明らかとなろう。
いずれにしろ、歴史変更完遂の、支障になるかもしれないことに頭を悩ませている状況でなかったことは事実だ。
大事なのは、あくまでも遂行である。彦原自身が有する全智と全能を投入しないと、とても達成できない難事業だからだ。よけいなことに頭を悩ませている場合ではないとし、想念からはずしたのかもしれない。
よけいなことでは、決してなかったのだが。
で、以下は既述したことなのだが、あえてつづる。
かれの心裡において、歴史変更後の漠然とした未来を憶測することとは、この時点では比べものにならないほどおおきな葛藤を抱えていたことをだ。
そのせいで、結果として“学者バカ”という言葉を体現してしまうのだ…、不本意では到底すまない事態とともに。
その、大きな葛藤。全人生を否定しかねない、懊悩をともなう心の相反。真逆の悪行と善行。
そんなギャップに、気も狂わんばかりに苦悩し、あるときは心痛のあまり胃液がでるほどのおう吐をしたのだった。
だがいまは、頭を悩ませるその内容を書く段階にない。
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