そんな青い歳から十三星霜を数えた2092年。その間は、勉学と研究に明け暮れ実験に没頭する日々であった。ある意味しあわせで、平穏な人生だったといえよう。
 だが大虐殺テロという青天の霹靂のせいで、悶えるほどに慟哭したのである。
 ニュース速報に接した刹那は、できればと希(こいねが)った。悪夢、いや誤報であったほしいと。
 ホロコーストの比ではない巨大惨事を。ブェスビィオ火山大噴火で消滅した古代ローマの都市ポンペイの数千倍(人口比)ではすまない最悪の悲劇が、じつはなかったとして。
 だが彦原の切なる願いは、あえて云おう知るひとぞ知る、舞いおりる汚れをしらない白雪が、まるで英国サバーン川のボアという海嘯(かいしょう)(大アマゾン川を逆流するポロロッカに似た自然現象)のような激しい濁流に呑みこまれるに似て、虚しく消えてしまったのだった。(ポロロッカは一見の価値あり。ネットにて映像を配信)
 清白な願いは、大虐殺という事実に食いちぎられたのだ。テロの理由が、たとえ崇高であったとしても。
 信じがたく、そしてニュース映像は思い出したくもないが、地球滅亡のきっかけともなりうる、全世界を震撼させた核兵器テロが起きたのである。
 2045年、共産党政権をクーデターで倒した軍部独裁政権ひきいる中国の、北京や上海等で、944日前に起きた四都市同時の、全てにおいてあり得ない核兵器テロ事件のことだ。
 原因は、民衆弾圧を重ねつづける軍部政府に反政府ユニオンが抗議し続け、そのたびの武力制圧にたいする積りに積もった憤怒が爆発した暴挙であった。独裁政権が強(し)いた血の歴史のはての、一部過激派による本末転倒でしかない無差別テロである。
 一瞬でうまれた、数値を正確には掌握不可能な、五百万人以上の死。あまりにも膨大で、実感をまったくともなわない死者数であった。
 以下は、世界が嗚咽した実態、見たくもなかった映像の、そのごく一部である。
 まずは、外壁や路面に影のような痕跡だけを残し、だが骨すらも残らなかった無数の人命(広島平和祈念資料館=原爆資料館の“人影の石”を参照)。
 そして、滂沱(ぼうだ)(=とめどなく流れる涙)のなかでも目をそむけなかったものがみな懐いた憤りと、あとの歯噛み。
 損傷のあまり、性別すらわからない焦げた死体が足の踏み場もないほど、まるで火事場の黒い廃材のように転がっていたのだ。そして八方の風景はすべて、モノトーンだった。
 しかし五体がつながっているだけ、それでもまだましだったのだ、
 今いちど爆心地へむけ戻るほどに、そこかしこで散見する実態は、左足のみとか右腕しかとか親指一本だけがなどの……、いやいや、悲惨なこんな描写、もう充分であろう。
 ああ、さらに日を追うごと、新たに見つかる被爆死体と重度後遺症に苦しむ患者の無残な姿。たとえば全身火傷や一部壊死、はげしい頭痛や嘔吐などの症状、そののちに発症した各種のガンや白血病等々、重大疾病の増加やまない、人々の夥(おびただ)しさ、云々。
 四発の核兵器の爆発がまき散らした天文学的量の人工放射性物質による大気汚染や河川海洋汚染等々……甚大にすぎる被害、ではとても表現できず、また紙面もたりないあり様であった。
 これを因とする、ブラックホールに似た救いのない絶望が、彦原を叩き打ちのめしたのである。
 核兵器を廃絶すべし!なにがなんでも!
 孤独な心はその深奥で、なんども絶叫したのだった。
 社命による責務からはおおきく逸脱してしまった個人的使命感が、思いもよらず急速に成長・肥大化し、やがて横溢したのだ。あの映像は、彦原にはそれほどに強烈であった。
==もう、あと戻りはできない==このときは、まだ三十路前だった。だからの暴走なのだが、気が狂ったかのように、みずからの理想を実現しなければ、現実のものとしなければ、と。
 人類を、地球を、未来を、壊滅から救うために!
 たしかに高邁(=気高くすぐれている)だがしょせん、彦原の想いは焦燥である。若さゆえの思いこみでしかない。
もっとおおきな思慮分別があれば、美しき理想には時間がかかるとして、暴走することはなかったであろう。
 が、核テロが悪夢や誤報であってほしいとの願いが打ち砕かれたとき、彦原は思った。==しかしだ、人類は百五十年もただただ無為に過ごしてきたではないか¬¬==と。
 それで、平和運動に未来はないと見限ってしまったのである。
 いや、かれらのことも、その尽力も悪く云うつもりはない。責めを負うべきはほかにいる。核兵器の増大に加担した為政者はいうに及ばない。が、それ以外の。たとえばヒトラーの暴走を止められなかった当時の政治家が糾弾されたように、厳しいようだが、廃絶に政治生命をかけなかった政治家たちもだ。
==ならば僕がやるしかない、知識も知恵も、そして核全廃を実現する能力をも手にしたこの僕が==
 彦原はこうして、心裡(り)における思いこみがもはや、制御のきかない状態となっていた。
 国家を例にあげるならば、2014年以降のシリアだ。暴君アサド大統領の暴政が、アブー・アル・バグダーディー率いる世界的テロ集団IS(発生の因は複雑で、イラク戦争などの悪政にもある)を強大化させ、日々流血地獄の泥沼化無政府状態にしてしまったに似て、だれも止めるものが存在しなくなったのである。
 いや、個人にたとえるとしよう。今度は架空で恐縮だが、いわば、学者フランケンシュタインによって新造された気味の悪い人間もどきが、製造主の意思に反するのみならず、くわえて疎外や迫害により自制を失った結果、復讐に狂うモンスターと化してしまったように。
 彦原の理想は麗(うるわ)しくかつ高邁(=志が高い)なのだが、だからこそ実現するとなるとさすがに現実味からは乖離(=へだたった状態)しすぎ、方途が収拾できないほどに途方もないものとなり、挙句、醜い怪物としか表現できないおぞましい境涯(=その人の立場や境遇)となるのである。
 核兵器完全廃絶という理想と使命感ではあったが、実現するとなると、真逆の構図が浮かびあがってしまうのだ。
 それを承知でなにがどうあろうとと、溢れでた使命感が暴走しだしたのだ。理想を実現せんとの焦りが自縄自縛に陥り、人間が本来有する制御システムという理性が、機能しなくなったのである。
 心の葛藤ですんだ十五歳のころは、まだ制御の範疇にあった。が、もはや手の施しようがなくなったのだ。
 核兵器テロに理性が蹂躙され、ストッパーが砕け散ったのだから、かれの心の奥底で。
 はた目にはわからないが、もはや精神は支離滅裂であった。
 そんな人格崩壊寸前であっても、かれはだれにも打ち明けることをしなかったのだ、断じて。
 たとえ、彦原が全幅の信頼をおく部下たちではあっても、計画を知れば、黙認するはずないからだ。==僕の大義にだれが同調するであろうか==
 それどころか、止めさせるため、警察庁のテロ対策課に通報するにちがいない。
 そうなれば、人生の大半をかけてきた夢、少年期から描きつづけてきた夢、宇宙空間のひずみを駆使してのタイムマシン製造までもが、“重き荷を負う”たのに、完全に頓挫してしまうのである。
 そのうえで、“露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢”(=豊臣秀吉の辞世)つまり、ノーベル賞受賞も儚しとなる。もっとも彦原は、そんな小さなことに頓着しているわけではないが。
 いずれにしろ、決して明かさない。==人生最大の夢を、だれにも邪魔はさせないために==
 ようやく実現という域に達し、同時に、本来の姿ではないにしろ一応の社命達成、それをタイムマシンとあえて呼ぶが、完成間近なのだ。
 十二歳から歩みはじめた長い道も、最終ではないにしろ一応の、ゴール寸前というところにきている。
 本来ならば、狂喜乱舞すべし、なのだ。また、全世界からの賞賛も至極当然なのだが。
 しつこいが、彦原の無念の極みをわかってやってほしい。
 あの、核テロのせいで、なにもかもが完全に狂ってしまったことを。
 結果、人類史上最大の発明を、物理学者として純粋なおもいで創りあげたかったタイムマシンを、だれもが考えもしない手段でつかう破目に……。
 そうなればつまるところ、世話になった人々や社への報恩(=うけた恩に感謝しそして報いる)どころか、背信の暴挙しか残さないことに…、嗚呼!
 充分にわかっていての、「いかなる犠牲もいとわず完遂を」との決断をくだしたのだ。
 だが、はたして許されるのか。==ぼくは、犠牲者に、どんな言葉をかければいいのか、どう云えば許しを乞えるのか…==。否、謝罪の言葉を口にする勇気すら自信がない、許されるはずのない、信じがたい暴挙だからだ。
 彦原は、神を信じない。畏敬の念など、だからあり得ない。しかし良心は、もっている、しかもだれよりも強く大きく。だから人知れず悩んだのだ。夜な夜な苦しんだのである。
 いや、じつは今も自身どこかで、犠牲者の甚だしさに、良心が苛まれているのだ。そして精神は、揉みくしゃにされ踏みにじられたボロ紙のよう。
 それでもとやがてかれは、こう腹をくくったのだ、命がけでやると!
 むろん、決めた使命を完遂すれば、数万人という犠牲者を、当然僕は目の当たりにする。
いわずと知れた、膨大な犠牲を強いる張本人なのだから……ぼくは。それでも、
==それでも未来永劫の人類のために、1945年の米国へやって来た、未来からのテロリストになるのだ、彦原茂樹という名のこのぼくは==