独身で、結婚はおろか恋愛経験もない男は、火・木・土のみのナイトキャップにヘネシーXOを嗜(たしな)んだ。口にあうぶん、心までがくつろげたからだ。
左掌上のコニャックグラスには、ストレートでスリ―フィンガー。シャワーを浴びたばかりの主(あるじ)にと、家事ロボットが持ってきてくれたのだ。
その足で居間へ。すでに、窓の両サイド設置のふたつの暖色系間接照明だけになっていた。なごめるよう、セットされていたのだ。あとは、お気に入りのソファーに身をまかせた。彼をやさしく包んでくれるからだ。
ナイトキャップにはほどよい半時を、無為のままに過ごすのだった。付きあってくれた友は、ベートーベンやモーツァルト、ショパンにチャイコフスキーなど。天才作曲家のなかの、そのときの気分で、誰かひとりだ。
若き天才の、これは就職直後からの五年間の、夜間、自宅にてのオフの姿であった。
それから六年後の彦原茂樹、三十一歳。
勤務する社内外で、彼は天才科学者の名をほしいままにしている。それだけ、期待はとてつもなくデカいということだ。人々の期待にたがうことなく、最初の大仕事となったある発見から数えて今や十一年。
その間の、三大と称される発明により、彼は、莫大な利益を社にもたらしていた。
そのぶん反動も大きくなる道理で、現在のストレスは、二十五歳までの比ではない。
より重くなった職責による疲れ切った心を癒やしてくれたのは、ある巨星が制作した映画群であり、その彼が創作した音楽であった。
巨星とは、前世紀の偉大な喜劇王チャールズ・チャップリン。映画群とは、彼が監督・脚本・主演・作曲・製作等を手がけた作品の数々を指している。
毎月の最終の休日はだから、敬愛するチャーリーに身を委ねる。誰にも邪魔されぬよう、直前に、他者からの連絡手段を全て断ち切るのだ。万全の態勢をとってチャップリン作品に、その大柄な痩身を任せるのだった。
作品に心酔する、そんな彦原の顔を観察すれば、若き日の喜劇王の素顔(チョビ髭は撮影用で、実際にははやしていなかった)に、全体的に似ている。
眉目秀麗という言葉がうってつけなほどに整っているのだが、どこか憂い顔である。円らな瞳の奥にひそむ翳(かげ)が、笑顔すらも寂しげに感じさせるせいだろうか。とおった鼻筋、意志の強さを滲(にじ)ませる締まった唇も似ている。
違うのは、尖りぎみのあごの強い線とすこし広めのひたい、容貌ではないが長身という体躯くらいだ。
そういえば、生い立ちも相似している。生後まもなく、父親は別の女をつくりふたりの前からは消えてしまった。ひとり息子を養育していた母親だったが、やがて精神に異常をきたし、それからは別れて暮らすことに。かれは高校を卒業する十六歳まで、児童養護施設ですごした。飛び級で大学と院を卒業したのだが、就職するすこし前、息子が脚光を浴びる姿をみずして、母親は逝ってしまったのだった。
ろくな母親孝行もできなかった悔いだけが、彦原の腹中にズシリと残っている。
父親とは生き別れたまま、もはや生死もわからない。かといって、酷かった父親を捜す気はさらさらない。チャップリンが、自身の父親を捜したのかまでは知らないが。
世紀も分野もちがう、天才のふたり。だが、たしかに共通点は多い。
それゆえ、彦原にすればゆったりと手足をのばして、心までも委ねられたのではないか。兄弟みたいだから、チャーリーが醸しだす世界が心地よかったのかもしれない。いやそれ以上の安心感、あえていえば、そう…、胎児が胎内で身の安寧と健勝を約束され、その深大さに浸(ひた)りきった姿、といえば近いか。
1917年制作の短編”チャップリンの移民”に始まり1952年制作の長編”ライムライト”まで、好みの十七作品で一つのサイクルを終わらすとまた、“チャップリンの移民”にもどるのである。月に一本と決めているので、ワンサイクルに約一年半かかる。
しかし、決して見飽きることはない。また、短編だからといって二本同日に観ることも決してない。かれは、一本で充足できたからだ。
それにしても、ずいぶんと古い映画であることは否定できない。にもかかわらず癒されたのには、別の理由もありそうだ。
チャーリーの双眸が慈眼だからか。幼児期から辛酸を舐め尽したかれは、ひとの苦渋がわかるのだ。極貧の境遇にも負けなかったからこそ、真っ直ぐな心のままひとへの優しさを保ちつづけ、やがて慈顔を形成するにいたった。善良や善根が顔に滲みでていて、それが作品にリアリティーと説得力を与えているのだろう。
それで彦原のストレスはいつのまにか雲散し、そのあと居心地よい温もりに浸れたのだ。
巨星が演じる、自分も弱者なのに同様の弱きひとを精一杯支える慈愛は、幼きころの生きざまが大人になったあとも、そのままで結実したからではないか。
震災などの罹災者自身が、被害に苦しむ他人のためにボランティアをするのに似ている。
以下は、作品の簡単な紹介である。その前にひとつ、ベースはコメディだということ。
最初は“キッド”がよかろう。無償の愛情を注ぎつつ、捨て子を守り育てあげる放浪者の話である。捨て子のキッドは、幼少のチャーリーを投影した姿ではなかったか。
次は、盲目の少女に支援を惜しまない浮浪者を演じる“街の灯”。目の手術の成功と花屋の店主にという夢までも叶えた少女の気持ちを慮(おもんばか)る、ラストシーンでみせるチャーリーの悲喜ないまぜの、なんともいえない表情とフェイドアウト後の余韻。それが、観客の心をかきむしらずにはおかず、鑑賞後の切なさを醸すのだ。今も語り継がれる名場面である。
西洋的現代文明社会にあって、幸せとはなにかを問うた“モダン・タイムス”。恋人同士、失業しても、それでも<前を向いて生きていけば、人生、きっとよいこともあるさ>ラストで、そう訴えかけている。
戦争の愚かさと平和の大切さを、ユーモアというチャップリン仕様で魅せる“担え銃”。
“殺人狂時代”、とは物騒な題名だが、反戦と命の尊厳を綴るために、ブラックユーモアと皮肉を効かせている。
世界征服の野望者だといち早く断じたことで、ヒトラーに命を狙われる危機を覚悟した作品“チャップリンの独裁者”。ラストの数分間だが、平和を希求するチャップリンの、その面目が躍如するメッセージで結んでいる。
観るひとを優しさ満ちる心持ちにし、人生に勇気と希望を湧き立たせる“ライムライト”。売れなくなった老コメディアンが、足の故障で踊れなくなり自殺をはかったバレリーナを救い、叱咤激励しつつ蘇生させていく物語である。ただ、単なるハッピーエンドでは終わらせていないのが、珍しくも辛辣だ。
以上、彦原には珠のような作品群。溢(あふ)れ零(こぼ)れているのは、ヒューマニティーとユーモアである。どの一作をとっても、悲哀の人物をみるたび思わず感情移入してしまい、ときにはもらい泣きすることも。で、それにとどまることなく、彦原はこれらの巻末において、チャップリンならではのオプティミズム(前向き志向)にいつも勇気づけられるのだ、
負けない強さが、ひととして美しいと。そしていつのまにか、心が洗われたようにすっきりしているのだ。
古くさい評言を許してもらうならば、…まさに人生賛歌なのである。
彦原にとって、珠玉に浸れる至福が、心を慰め癒し豊かにしてくれたのだ。
天才物理学者は月に一度、天才映画作家からの恩恵を享受していたのである。
すこし違うとしたら、“殺人狂時代”であろう。連続殺人犯が主人公というだけあって、表層においては人間賛歌を否定しているようにもみえる。しかしじつは、ブラックユーモアを駆使しての逆説表現なのだと、作品の奥底を反芻すればそれがわかる。制作意図は戦争の否定であり、戦争遂行の為政者否定でもある。底辺にあって揺ぎないものは、まさに人間主義なのだ。チャップリン映画本来の慈愛に満ちたシーン挿入も、だから忘れていない。
彦原はこれをむろん、皮相的にはらしくない一品とわかって、鑑賞していたのだ。
戦争という人類にとっての極悪を、巨星は自分が極悪人へと墜ちることでしか、もはや表現できないと悲壮感を懐きながら描きあげたのだろうと思いつつ。
いずれにしろ、十七作品が醸すチャップリンの世界に、かれは充足していたのだった。
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