さて、いつ殺されてもおかしくない状況にあえて身をおき、そしてみごとに人を誑しこみ、その甲斐あって織田家中にて、藤吉郎は頭角をあらわすことができたのだ。

ついで、戦国武将として一国一城の主となり、さらには、こんにちの望外にすぎる立身出世、いやいや、天下人にいちばんちかい存在へとつながったのである。

おもい返せば二十八年余、それにしてもと、かぞえきれないほどの死地においてですら護られてきた不思議。ゆえに「われこそは天恵(天からの恵み、幸運)を一身にうけている」と、驕(おご)りではなく、そういう自信が横溢していたのである。

_ひとの手がわが命をうばうなど、無論ついぞ無く、そしてこれからも、有りうべからざること。これ、もはや決まりごとにて_そう信じきっていたのだった。

だからいま、命運がつき果てつつあるこの状況、かれにとっては事故、いな、ありえざる“災厄”であった。いわく、なんでこんな目に…このオレが、と。

 つまるところは、過大なるうぬぼれ、以外にいいようのない誤算だったのだ、所詮は。結果から、あきらかである。

いっぽう、秀吉ならではの心象など知るよしのない前田家守備隊。目のまえのあまりの惨劇に、かれらは凍りついてしまっていた。

数人の門番だけが、瀕死の秀吉をかこんだのである。が、それでもただただ茫然と立ちつくすのみ、かれらもなにもできないでいた。

この、前田家にとって、一瞬にて勃発した一大悲劇、とりかえしのつかない大失態を、

前田家の破滅を惹起する最悪を、しかしながら、利家・利長父子はまだしらない。

やがてかれらが駆けつけたさき、門番たちのあいだ。そこに横たわる突如の、わが目をうたがうばかり、あまりにすぎる光景が。

悪夢でも、これほどの悲劇は……。さすがの猛者も、混乱した。

しつつ、急ぎ走りよると、旧友をだきかかえた利家。

すると、友の叫び声を耳にし、体をおこされた秀吉はおもむろに薄目をあけ、血色のうせたふるえる唇をすこしあけた。

くぐもったかすれ声が、かすかに漏れた。

辞世(最期のことば)を必死できく故友の顔は、なみだと鼻水で、崩れていた。

だが、それよりひどい様相こそ、前田家の向後にほかならなかった。なみだと鼻水はその大部分、自家と家臣たちを憂うるあまりのゆえ、留まりえなかったのである。

いっぽう、奥でむかえの支度をしていた“まつ”だったが一報をきくと、大門にむけいそいだのだった。

こうして前田家の主たちは、

本丸へ丁重に輸送されている秀吉、戦乱のなか、大仕事をなし遂げてきた一世一代武将の最期を、涙ながら、みとることとなったのである。