ところで、秀吉の意図をはかりかねた城内では、緊張がはしった。大門をひらくべきか、撃ちかけるべきか、実質上の主君である利家の差配をうけるべく、城兵がはしった。

その間秀吉は城外において、小一郎(秀吉の実弟、あるいは異父弟との説の秀長)からの諫めをおもいだしていた。

ただし諫言は、いまにはじまったことではない。それでこんかいも「案ずるな」と、押しきったのである。

しかしながらもなぜか、諫めが妙に気にかかりだしたのだった。こんな胸騒ぎなど、ついぞ(はじめて)、であった。

そうこうするうち、重い大門がゆっくりとひらいたのである。で、心の揺らぎは、これを契機にきえさったのだった。

秀吉は馬上、その立ち居振るまいにて、信長の後継者よろしく、鷹揚に入城したのである。

直後、ギイといういやな音をたてて、門はとじられた。

_単騎で?まさか。いやいや、あのご仁ならばありうる_と、半信半疑のまま押っ取り刀で(取るものもとりあえず、間(かん)髪(はつ)いれずの意)、本丸から利家・利長父子が城門にむけ走りだしていた。

その、まざに同時刻であった、既述のわかき城兵が天にむけ、雄叫びをあげたのは。

直後、矢倉から地上へと一閃、矢が走ったのである。

「うっ」

射手のたましいが憑依した矢は、父に仇(あだ)なした秀吉の肝の臓をつらぬいたのである。

小柄な体躯が、馬上からドゥッとおちた。

おちながら秀吉は、慮外のできごとに、頭が混乱してしまった。人誑しの人生において、ありえない、信じられない事態なのだ。

たしかにこれは、秀吉にとって不慮の“事故”であった。半生が脳裏によみがえった。

あのときは無我夢中だったと。以前は敵国美濃の将であった、竹中半兵衛重治(こののち、得がたき軍師となる)を味方に引き入れるため、友好関係のない、いわば敵方の領地へひそみつつ乗りこんでいったときも単身で。また、蜂須賀小六正勝(のち、秀吉にとっての武功の将となる)とその一族郎党を、取りこんだときもそうであった。

ボクの白日夢は、さらにつづく。