小六時にいだいた疑念、これを解こうと、じつは以後も十八年ものあいだ、文献に接しつづけてきたのだった。ナゾ解きは日課であり、暇つぶしではない茶飯事であった。

ちなみに、あきらめが悪すぎるのも、ボクの欠点である。でないと、タイガースファンなんて、やってられない。

それにしても長かった。ほんとうに長かった、

が、辛抱と研鑽へのごほうびなのか、ついに来た!のである。

猛暑だった夏のつかれからか、日ごろの激務のけっかの疲弊によったか、はたまた、積年のおもいが化身にでもなって、頭のなかで構築された蜃気楼だったのか?

以下のことは、2003年九月十五日敬老の日の、突然の、いわば白昼夢である……。

 「開門、かいもーん」

越前府中城の大門の矢倉にむかって、馬上、大声をはりあげてよばわる一軍の将らしき武士。

しかしここは、硝煙にかすむ戦場(いくさば)。にもかかわらず甲冑をおびてはいない。いぶかる敵兵をまえに、いかなるわけか、平装である。

とはいうものの、絹製の衣装といい腰にさしたる意匠をこらした太刀といい、そうとうに立派な品々だった。さらに、手には金箔の采配をにぎっていた。

城内にたて籠もる男どもはもちろん兵装で、城をとりまく二万以上の敵方の将兵も戦闘態勢をとり、たがいに牽制しあっていた。まさに、一触即発といえた。

じじつ、半刻(一時間)まえにもはげしい銃撃戦をしあい、ようやく治まっての睨みあいだったのだ。

衆目の一致する緊迫したなか、あっけにとられるいで立ち。まるで物見遊山のような装束で場ちがいにのんきな風情を、この武士だけが漂わせていた。小康状態とはいえ、どうみても、まだそんな状況ではないのに、だ。

 それが証拠に守兵たちは、高楼にあって敵の動向に絶えまない警戒の視線をおくっていた。

まさに殺気だちの最中(さなか)を、“開門”とさけび、「撃つな!射かけるな!」と大声で要請しつつ、単身、馬上にておもむろに歩をすすめるこの武将だけが、撃ちあいなどなかったような、おだやかな笑顔をたたえているのだ。

すべてにおいてこの場に相応しくない、安寧を醸(かも)しだしていた。

さらに、ひとかどの武将であろうはずなのに、馬の口をとる従者すらともなっていないのだ。太刀をおびているとはいえ、敵味方双方の眼に、丸腰で無防備の、それはまるで道化に映っているのだった。

じつをいうと、銃撃戦において、この武将は指揮をとっていなかった。半刻まえに到着すると、「鎮まれ」とまずは命じ、それから平服にあらためさせたのである。

そのうえで、馬廻役を単騎たずさえて自陣をでたが、それも先ほど帰したのだった。だれびとも帯びざるが最良と、門前にては単騎でのぞんだのである。肝が据わっているとしか、いいようがない。

ところでかりに平安の世でならば、客人として平装こそ、あたりまえである。

「なにやつ!」府中城の大手大門わきの矢倉にたつ城兵のうち、年わかき守兵が誰何(すいか)した。初陣という理由だけでなく、気がたっていた。じぶんを戦場につれだした父親が、目のまえで討ち死にしていたからだ。

昨日の茂山から退陣中の戦においては、地侍(ちいさな村落ていどの土地を所有する小豪族で士分)という身分だった父親もじぶんも、殿(しんがり)集団(退却する自軍をまもるため、最後尾で敵軍とたたかう役柄)にいたのである。

ちかくで太刀を振るっていた父親の首に、ズブリと槍をつき刺した敵兵。それを、初陣祝いにと父親より譲りうけていた槍でつき殺したのだが、その感触が、いまだ両手にのこっていた。