ナポレオン暗殺計画は1800年の十二月二十四日に実行された。王党派が、第一執務だったかれとジョセフィーヌがのった馬車に爆弾を仕掛けたのだが、けっか、失敗している。さらに、大英帝国がフランスブルボン(ルイ)王朝の王政復古をもくろむ王党派と手をくんだのだが、こちらも未遂におわった。

また、いくつかあったヒトラー暗殺計画の中でいちばん有名なのが、ヴァルキューレ作戦がからむ時限爆弾事件(1944年七月二十日)である。

歯止めなく暴走する侵略戦争がやがては国家・国民をあやうくするとして、一部の有志がはかったのだ。

計画の動機は私的恐怖に帰するものではなく、おおむね、公憤であり公益のためといえるものだった。むろん、これ以上の人命の損失を憂いた人たちである。

暗殺計画は存在したが、成功も失敗もなかった史実もある。標的は皇帝ネロだった。

横暴のかぎりをつくしたせいで、すでに、国を憂える声が津々浦々に充満していた。ネロはついに、近衛兵や側近からも見放された。元老院からは“国家の敵”との宣告をうけ、追いこまれ逃げ場をなくし、けっか、自刃して果てたのである。

 で、主題の秀吉にもどすと、人格崩落ののちも、かれにたいしては、主君信長に存在したような暗殺計画があったとはきかない。文献をしらべたが、そのかぎりにおいて計画はなかった。

ちなみに石川五右衛門による暗殺計画は、ウケをねらった後世の偽説である。

暗殺計画がなかったということは、ネロや蕫卓とはちがうからだろう。さらには、むりな外征をしたことにおいては同じなのだが、暗殺計画の有無においては、ナポレオンやヒトラーとも一線を画すひつようがありそうだ。