ところでボクは今日、図書館でしった事跡、その一からその四を文字面(づら)ではなく、それがはなし言葉で生々しかったぶん、実感をともなっており、母がこの春ふともらした“秀吉は血塗られてる”の意味に、ようやく思いあたることができたのだ。
あまりに衝撃的で、巷にきく事績や英雄伝とは隔絶していた。
父や世人がうけいれている巷間の伝を、ボクも先入観としていたわけだが、母の言も今日えた知識も疑わなかった。それどころか、史実としんじたのである。ウソをいう理由がないからだけではなく、滅多なことでは、ボクにウソをつかない母だからだ。
すると、木下藤吉郎およびのちの羽柴秀吉と、天下人となった豊臣秀吉は、そのどちらが真実の秀吉なのか、との疑問にぶつからざるをえない。
_とても同一人物にはおもわれへんくらいの格差や。どっちかがネコを被ってたんや、きっと_と、刹那はそうおもった。
ついで、_それにしても、なんでネコを被ったんや?_との疑問が湧いた。
人気を気にしていたとの説のある武将秀吉だけに、天下を盗るまでは万人に好かれようとしたのではないかと。秀吉研究の書物をよんだあとでは、そんなおもいつきをした。
しかしこれは、生まれてはじめての急激な猛勉強のせいで、脳の状態が普段どおりではなかったゆえの、愚にもつかないおもいつきにすぎないと。
でもって数時間後には、はたしてそうなのかとおもい直しはじめていた。
さらに日付がかわった翌朝、全面否定するにいたったのだった。
_きのうの説、あれはあかん。とてもやないけど、なってない_なぜなら、信長が横死するまでは、天下人になろうとした形跡など、まったくなかったからだ。
つまり、秀吉が好ましい人物だったころ、かれは忠臣以外のなにものでもなく、いっぽう、天下人をめざし破竹の勢いの主である信長は、畏怖そのものの存在であり、しかもまったくもって健在であった。塩辛いもの好きゆえに、現在の知識をもってすれば、かれは高血圧だったかもしれないが。
だとしても、信長の忠臣に天下をねらう野望、どころか、それをうむ心の隙間すら、どこにもなかったのである。