また、伊達や酔狂(悪ふざけ)でいえることでもない。それにしても、瞬きをせず凝視する母の眼が、正直こわかった。

ただ、ボクの将来をあんじての叱咤であるくらいはわかっていた。たしかに苦く辛(から)いが、愛情から発したことばだと、素直にかんじとれたのだった。

で、「ごめんなさい」おもわず口を突いてでた。だが、どうしてこのような謝罪をしたのか。べつに、悪いことをしたわけではなかったのだから。

また母のが、心底からの発言だともおもったわけではなかった。だから、なににたいし、なぜ謝罪したのかもわからなかった。ただそうしないと、ふだんの母に会えないようにかんじとったからだ。

ボクの口元にそそがれている母のつよい視線は、つぎの言葉をまっているようだった。

「わかった。じぶんの意見をもてるよう、これからはもっと勉強するし、太閤記もちゃんと読むから」心からそう約束した。もとの母にもどすために。

むろんのことだが、口にした以上、実行しなければならない。“有言実行”こそ、母のふだんの口癖で、虚言であれば当分のあいだ、口をきいてもらえなくなる。いやいや、それくらいで済むはずがない。

母はようやく瞬きを数回し、そうするうち、眼からの強烈な光はきえていった。ようやくいつもの表情にもどった。とはいうものの、つぎの、具体的な言葉をまっているようにもみえた。

「で、“太閤記”って、たしか、家になかったやろ。ほな、図書館で借りてくるとして、いったい、だれが書いたん?」虚心坦懐で問うた。いろんな作家がかいていたことすら、まだ知らなかった。

この質問をまっていたように、「お母さんのきもち、わかってくれたんやね」ボクの瞳の奥、心奥を覗きこむような眼で見すえた。

「うん、うん。あんたの瞳(め)をしんじる!」それからやっと、笑みがこぼれた。ようやくみせた安堵の表情であった。

「そやねぇ…。ほなら、吉川英治の“太閤記”はどう?」

「それって、いい本なん?」授業でならった文豪のなかに、吉川英治ははいっていなかった。だから、国民的歴史小説の文豪(国民文学作家と称されている)のなまえを知らなかったのだ。

「よんだらわかる、平清盛や宮本武蔵などの長編もかいた凄い作家やで。それに秀吉という人物を、血塗られてるって言(ゆ)うたわけも、よみ終ったらおしえてあげる」

よみ終わったら、おしえてもらわなくてもわかるのではないかと思った。が、それでも、母の意見をきいてみないわけにはいかない。

「うん、そうする。ほな明日のあさ、図書館で借りてくるわ」後悔が先にたつ、その覚悟をきめた、ちいさな宣言であった、じぶんには大きすぎたが。

ボクのこの決意を、まっていたのは明らかだった。

「ありがとう」と小声で、心底からの感謝のことばをもらした。母はいかにもうれしそうな、晴れやかな顔になっていたのである。

このとき、母のからだに異変がおきていることを、ボクはまだ知らなかった。