《後悔、先にたたず》ということわざ、欠陥ありとして、リコールすべきだとおもった。
ボクがまだあまり乗り気でないのは、眼やそぶりをみるまでもなく十一年のつきあいでわかる母は、おおきなため息をひとつついた。それからおもむろに、まなざしも声も姿勢も凛とただしたのである。
このことによって、ボクの倍以上はある体型が、いやがうえにもボクを威圧することになった。
「あんた、これから先、いったいどんな大人になるつもりなん。付和雷同で、じぶんの意見をもたん愚物に甘んじるつもりなんか。ひとに言われたら、おっしゃるとおりと賛同する、なんて人間、お母さんはきらいですよ。たとえば秀吉のことだけど、お父さんがすきだからボクもなんて…」
夏休みにはいるすこしまえから、よく叱咤されだしたのだが、これほどの厳しさは、いままでなかったこと。強硬な母をまえに、別人と対峙している感覚さえ…、であった。
母のなかで、なにかおおきな変化がおきたと、そういぶかった。しかし、それを問うことに、躊躇したのである。訊けるふんいきではなかったからだ。いや、それだけではない。
知れば、そのむこうに存在する、ただならぬ恐ろしさを直感したためであった。
「たしかに私もちいさいころは、両親に倣ったし、おなじ価値観に身をおくことで、安心もした。あんたもまだ子どもなんやから、最初はそれでもええとおもう。けど、すきな理由がいつまでもおなじでは、あんた!まるでお父んのコピーやんか。あんたはあんたやろ!違う?成長せんで、どうするん」
なかほどまでは恐ろしい眼だったが、やがて憐れみをおび、最後はうっすら潤んできた。なにかが憑いてでもいるかのようだった。
ただボクは、母のこれまでにもまして恐ろしい姿に、呆然としつつそれでもおもった、たしかに母のいうとおりだ。正論のゆえに、反論の糸口すらみつからず、退路もたたれてしまっていた。
「孫子の兵法によると、すべての逃げみちを閉ざしたらあかんらしい」
いまになってだが、“窮(きゅう)寇(こう)(窮地の敵)は、迫(お)う勿(なか)れ”をさしていた。逃げみちを閉ざされた敵は、死にもの狂いでむかってくるから、味方が手痛い目にあう。よって、逃げみちをもうけよと、説いているのだ。