送検後の担当検事の職域だと判断したからだ。裁判員や裁判官の心証を、検察側へ誘引するためになにをなすべきかは、検察官の仕事だとして一線をひいたのだった。
ところで饒舌がもどった東にすれば、いいたいことがまだまだいっぱいあった。「だから、本当にいまでも、ゆるせない気持ちでいっぱいです」
犯人のそんなようすに矢野は、書記役の藍出の目をみた。
藍出は、師とあおぐ矢野警部にちゃんと速記できていますと、アイコンタクトでかえした。
そんなことにはお構いなし、この連続殺人犯の口だが、まさに、想いをぶちまけたのである。
「父には青天の霹靂だったでしょう。だけど、あんなやからにすれば、見せしめのテロの標的などだれでもよかったと、そう…」ここで瞑目すると、悔しさのあまり、唇をかんだのだった。どうじに、場壁たちへの憤怒に、目尻がおおきく吊りあがったのである。
ちなみに“やから”とは、殺人をおかした右翼の若造をさしていた。
「事実、そいつの裁判において検察側があきらかにしたように、場壁に盾つく人間を血祭りにあげることで、テロの目的や動機をわかりやすくし、ほかの反対者の言動を封じたかっただけですから。裁判を傍聴していて、おとこの動機に正直、おぞましさと衝撃をうけました」
「……」いま、矢野たちにだが、放言をさえぎる意思はない。むしろ、思いのたけを吐露させることにしたのである。
「虫けらみたいにころされたわけですが、父は立派だと、ボクも誇りにおもえる夢をいだいておりました。弁護士として、いわゆる社会的弱者の側にたち、そのひとたちを支える力になりたいという…、いや、すでに人権派弁護士と、世間からいわれ…」
ここでついに、堪えていた父親への情念が、思いあまったすえの嗚咽となって、咽のどのおくからこみ上げてきたのだった。
気がしずまるのを、いかばかりだったろうか、一同、無言のまま待ったのである。
やがて、「尊敬する父親の夢を直接うばいさったやからもだが、根源的因をつくった場壁以下こそが断罪されるべきだ」と鋭くさけんだのである。
ところで、帳場が疑問視していた「なぜ、八年も待ったのか?」の答えならば、ここからくみ取ることができるであろう。
特別国家秘密保護法案が世間で侃々諤々かんかんがくがくの論議となり、けっか、父親が殺された八年前、連続殺人犯東はまだ十七歳であった。復讐したくても、その手段をなにも身につけていなかったのである。
かれは、銃の腕前や爆薬の製造法などに精通するひつようがあった。陸自入隊は、その道程だったのだ。だから八年は、東にとっては、長くはなかったということになる。
捜査にたずさわったデカたちも、これで得心するであろうと、和田もおもった。
で、連続殺人犯だが、いい分をつづけていた。「ああ、どうして…、どうしてじぶんだけがこんなにも苦しまねばならないのか!」これが東の、正直な想いであったろう。
しかし、だった。「なにをバカな!」いままで黙ってきいていたのは、犯人にこの類のことばを言わしめんがためでもあった。
「そんな理由で、無関係な六人ものひとを巻きぞえにしたのかっ!まさに理不尽な、無差別殺人そのものだ。それでは、お父さんを銃でころしたやから以下ではないか!」
矢野がおもわず怒鳴ったのは、巻きこんだ人々にたいする謝罪の気持ちを、いまだかんじとれなかったからだ。
「いまのをお父さんがきいていたら、殴りつけたにちがいない。すくなくとも、ボクが父親なら性根がいれかわるまでぶん殴っているぞ!」
被害者家族はほかにも大勢いるのに、“じぶんだけが苦しんでる”がその象徴である、独りよがりや自分本位こそ、犯罪者の心裡なのか。もっといえば、エゴイストだからこそ、ひとの命を虫けらのように蹂躙できるのか。
世によくあるじぶん勝手な動機による犯罪、たとえば愉快犯による無抵抗だからとの動物虐待、遊興費ほしさの強盗や詐欺、性欲をみたしたいからするレイプ、気にくわないからと殺人。
そんなエトセトラに、首をかしげざるをえないが、この手の犯罪をおかすエゴイストたち、その生きざまのもとには、じぶんしか存在しないのだ、きっと。
じぶんが納得もしくは満足できれば、それでいい。これが、さらに悪いことに、大半の犯罪者心理だとしたら、人間社会に巣くう悪業の根は、とてつもなく深くおおきい。
嗚呼と、矢野はときに失望する、この手の自己中心が犯罪被害者を生みだす現状に。
だからこそ、エゴを潔しとしない、また、自分本位だけだとかならず行き詰まると説く、よほどの、利他(他者への思いやり)的哲学が人類を変えないと、犯罪被害者たちがいなくなることはないであろう。涙にくれる気の毒な人々が、これからも増えつづけるだろうと。
しかし、イノセントな人が、嘆きの人生をながらえる、なんて、それでいいはずがない!
矢野は、犯罪被害者やその家族に、せめても寄りそえればとねがい、日々生きているのだった。
ところで、裁判の責務のひとつ、それは、被告人のいいぶんが同情に値するか、まったくのじぶん勝手か、その判断もする、である。判決文には、それが示されるはずだ。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。