なにはともあれ、歴史はかわった。核兵器は、完全に消滅したのである。
スターリンは核兵器製造を断念した。米国をふくむ歴史も随分とちがうものに。
帰結として、とくに科学分野にかかわる歴史がおおきくかわったのである。有能な科学者のほとんどをうしなったからだ。
そして当然だが、1945年八月六日に被曝するはずだった人々の歴史は、まったくちがったものに。なにごともなかった十四万人の一人一人が、なんらかわることのない人生を繰りひろげていったからだ。また負傷しなかった人々の人生も、原爆症にくるしむことなく、通常のまま綴られていったのである。
1945年八月九日以降の長崎で命をうしなわなかった約七万五千人の一人一人、負傷しなかった人々も、同様だった。
ということで、彦原もドリーム号とともに消滅……したのである、マンハッタン上空で。
1944年末におこった歴史の変更により、かれの六代前の先祖は、既定どおり婚約者の新聞記者と結婚した。被爆しなかったおかげだ。
そのため、彦原の五代前だった人物だが、当然、この世に誕生しなかったのである。したがって、彦原へとつながっていくそれ以降の血筋もすべて消えさってしまった。
必然、彦原茂樹は、かれが生みだした宇宙船とともに雲散したのだった。
彦原の人生において第二の、そしてとり返しのつかない迂闊であった。
X社の専務や研究員たちの、あの絶望と苦悩も、一瞬にして霧消したのである。
それどころか、百五十年後、まったくちがう社会と、べつのひとたちが普通に存在し、そんな社会の日常がしごく当然のごとく展開していったのだ。
彦原もいない、べつの社会の平生が、である。
つまり、いままでとはちがった歩みの人類史が、まるでなんの問題もなかったかのように。四本のキノコ雲いこう、だから、べつの歴史、とはだれもおもわない歴史となってつらなっていった…。
そして天才科学者彦原の生きた証、タイムトラベルの理論構築と実験の成功という偉業など、ナノ単位でものこるはずのない歴史、“核兵器消滅”が惹起した歴史の大転換などしる人のいない、そして“歴史の大転換”など教科書に載ることのない新たな歴史が…、核兵器消滅直後から、あらたな歴史としてではなく、いまある事態こそが当たり前の、それにつらなってゆく歴史として…。
ああ、そして皮肉にも、彦原が創出したべつの歴史において、永遠に、かれは地上に生を享けることすらできないのだ。
だがもしかれが、2095年から過去にタイムトラベルしなければ、いや、核兵器消滅のための歴史の大転換をしていなければ、彦原茂樹の名は永久に、その後の歴史において燦然と光を放ちつづけたはずである。
(殺戮者・纂奪者ではなく、白人につごうのよい西洋史において、真実ではない、新大陸を発見した偉人だとあつかわれている)コロンブスと、天才物理学者アインシュタインの業績をあわせたいじょうのことをなし遂げた人物として、その名をしらぬものなどいなかったにちがいない。
さらに、人が「Hikohara」の名を口にしたとき、そこには敬意と親愛がこめられていたはずだ、その人がたとえ、かれの偉業に由るタイムトラベルで宇宙のいつ・どこにいようとも。
それはまるで、喜劇王チャップリンにむけられる称賛と喝采以上に。
しかしながら残念なことに、栄誉や名声がのこるどころか、事実のうえで存在すらしなかったのである。
ところで、彦原ほどの天才が、すこしかんがえればの、こんな簡単な原理に気づかなかったはずはないのだが。
なぜだろうか?なんども思考したのだが、払拭しきれない疑義である。
魂魄が消滅したようなかれに訊くわけにもいかないので、憶測するしかないが、
彦原は半生そのものをかけ、核兵器の全消滅に全神経と全情熱をかたむけていた、そのせいでウッカリ失念した、は中らないだろう。八百もの爆弾がまねく結果を想像し、あまりの悲惨に懊悩していたのだから。
核爆発がもたらす酸酷に、思慮をめぐらせていた証左である。
ただたしかなのは、核兵器を全消滅させるという夢が、並大抵ではなかったということだ。
つまり大義完遂のために葛藤をやめ、甚大破壊以降のことにたいしてはムリにでも熟慮を停止させた。そうでないと、全智全能を傾倒できなかったのは事実である。
ということは結果的に、歴史の大転換後の事態にまでかんがえが及ばなかったのである、おそらくは。
…その原因だが、精神的余裕の欠落であって、能力の欠失ではないとおもわれる。
そこで、歴史大転換後の事態を想像しなかった理由の可能性をさぐるならば、大転換後の実像という人類未経験に、実感がともなわなかったからではないか。
だれびとも経験したことのない歴史がはじまるという事態、そんな不確定を想像してもはじまらない、なるようにしかならないと。そんなことより、否、なによりも肝心なのは核兵器完全消滅だ、とのつよい想い。
そういえば彦原は、広島平和記念資料館などでの展示物の記憶がよみがえると、自身の大罪により惹起する空前の大殺戮を連想させてしまうにちがいないと不安がっていた。
連想が完遂のさまたげになるとして、計画実行いがいの思考回路を宇宙滞留最後の日で、無理やり遮断したのだった。
それいぜんは、連日連夜の煩悶で、じっさい、気がふれそうになったほどだった。遮断自体、脳が、自己防衛本能をはたらかせたともかんがえられる。
それに彦原の人格に鑑み、大殺戮を全人類のための天啓としんじることでしか大義の名分を見いだせなかったし、全智全能を傾倒するためには必要悪と心のなかで無理やり処理しなければ遂行不能になるとおそれてもいた。
もっとも必要悪も偽善、との矛盾もかかえていたが。
さらには地獄絵を想像することが、彦原にはたまらなくおそろしかったのだろう。
そういえば、二十一世紀末の地上にいたときから、多々、寝顔を歪めつつうわごとをいっていた。悪夢にうなされ、くるしんでいたのである。
それで、地獄図いこうの未来予想をしないようにしたのではないか。
いずれにしろ、複雑にいりくんだ理由がありそうだ。
あるいは、専門分野にたいしてはその天分をいかんなく発揮できる超人でも、それいがいのことには案外、凡人以下だったのかもしれない。
“学者バカ”という辛辣な言葉が存在するようにだ。そういえばロスアラモス国立研究所への入所時、ゴリラ似軍曹に翻弄されていたことをおもいだす。
ときに、学者バカは他にも多数いる。たとえば、原爆を創造した科学者たちだ。事態の深刻さを知り、良心に目覚めたかれらは、慌てて核兵器使用反対運動をおこしたのだった。
吾人(じぶん)は凡夫なるゆえにおもう、==ならば、つくらなければよかったのに==と。
そういえば、かの坂本龍馬。かれを狙う暗殺団にたいして気をつけるようにと再三の忠告をうけていたにもかかわらず、頓着しなかったという。
彦原との共通点、それは《灯台下暗し》だろうか。いやはや、偉業をなす人物はじぶんのことには、一種、鷹揚なのだろう、きっと。
もはや、わたしのごとき凡人には計りしれない威容(あるいは異様)な風だ。
さて、いじょうのこととは次元の異なる、べつの疑念がひとつ。
彦原は、博愛的人物とはいえ、まごうことなき愛国者でもあった。生まれそだった日本への愛着、けっして他者におとることはない。
それなのに日本を戦勝国にはしなかった。なぜなのか?
かれがその気になれば、太平洋戦争において戦勝国にできたはずだ。
1941年十二月八日(日本時間)の真珠湾奇襲攻撃での当然だった勝利後、米国太平洋艦隊とロッキード社の軍用機製造工場を壊滅し、ホワイトハウスとペンタゴンおよびデトロイト市の工場地帯とウォール街を完全破壊すれば、戦意喪失し降伏したはずだ。
軍事・政治・経済の主要部が壊滅すれば、米国は戦争どころではなくなったにちがいない。国家沈没寸前となるのだから。
超国家機密施設、ロスアラモス国立研究所等を潰滅させた彦原である。
警戒厳重なホワイトハウスやペンタゴンの破壊工作ですらも、その気になれば不可能とはかんがえなかったろう。
ここで重要なのが、仮定の話である。
万が一日本が戦勝していればどんな国になっただろうか。
国民もアジア諸国も米国等も独裁的軍部政府に隷属させられ、塗炭のくるしみに喘ぎつづけなければならなかったであろう。
北朝鮮の邪悪な金王国ににて、いちぶの輩…軍部や政府首脳と政商や財閥だけがあらゆる歓楽を享受するに似て、お飾りの天皇主権のすがたをかりた、最悪の独裁国家となったにちがいない。
生来、人にだけでなく生きとし生ける尊いあらゆる命を慈しんだ彦原。戦争のない平和な社会を希求した彦原。弱者にやさしい社会が望ましいとの信条を保ちつづけた彦原。
そんなかれだからこそ、悪辣なとんでもない国体をみとめるはずも、存在させるはずもなかった。
日本を戦勝国にすることなど、端からおもいつくことすらなかったのである。
それにしても、つくりだしてしまった地獄を直視したのち、肩をくずし膝をおって咽び伏し、はては廃れものになってしまった。そうなったのも、彦原ならではの因があったにちがいない。
主因はやはり、チャップリンのようにやさしすぎたことだ。かりに対極のヒトラーのごとき魔性の人物だったら、スターリンのように悪辣であったなら、精神の崩壊などなかったはずだから。
核兵器完全消滅を平和裏には達成できないと無血革命を断念した日、やさしすぎたからこそ、そのため悲嘆に喘ぎ、噛んだ唇から鮮血がしたたったときから、彦原は彦原でなくなりはじめたのだ。
そのあらわれを、チャップリンの作品群では癒されなくなったという心理現象にみることができる。じつはあのときからだった。本人すらも気づかなかったアリの一穴として。
ごく小さなワームホール(虫の穴)。この心の異状や綻びをあやしんで、専門医の診察をうけるなどの対処をしていれば、結果はちがったものになったかもしれない。
もしかすると、完遂後の自己消滅を気づかせてくれた可能性もあるからだ。…いまとなって詮ないことだが。
1944年十二月二十日午後三時三分、核兵器はその関連資料もふくめ、あとかたもなく完全に消滅した!
ところが、である。1972年十二月十三日の午後三時三分、なんと…、
せっかくの彦原の、文字どおりの、命を賭した核兵器全廃工作は、しかし二十八年後、嗚呼、ああ、ものの見事(語弊は承知でかいた)、水泡に帰す。
開戦当初はすぐに一蹴できると楽観していたベトナムでの戦争において、北ベトナムの徹底したゲリラ戦で、地上部隊の米兵は年をおうごとに戦死者が増加の一途をたどっていった。
米軍は作戦上の失敗や混乱、装備不足などで士気が低下し、泥沼化どころか、全面的敗北をしつつあったのだ。
一気に事態を打開すべく、J大統領は着手したばかりの核兵器開発を急がせた。予定の十数倍の予算を計上し、米国きっての物理学者や化学者たちを急きょ集めた。
でもって、度しがたい(=救いがたい)ほどにおろかなる人類(科学的興味を最優先させる科学者や場あたりの為政者たちども)は、唾棄(=軽蔑してきらうこと)すべきことに、こうして二年弱で、原爆実験を成功させたのである。
さらに、実験成功を歓迎した愚物、いや魔物と化した米国のN大統領は、核兵器使用にはんたいする幾多の叫び声や祈りに似たうったえをことごとく黙殺し、さらに、日に日に増大する米兵の犠牲を阻止するためという一方的屁理屈や理由の捏造をして、原爆を北ベトナムの二大都市に投下したのである。
あわれ…、“サタン”は、広島・長崎での犠牲者に匹敵する尊い命を奪ってしまったのだ…。
<歴史は繰り返す>とか。
それからさらに百五十年後、第二の彦原が、地上に生を享けるのである。
そしてまたもや……、
完
あとがき
彦原は己心の魔性に翻弄され、多大にすぎる犠牲者を生んでしまった。しかし、彼の良心は根幹において、悪魔に蹂躙まではされていなかった。
騙されはしたが、悪魔に魂を売ったわけではなかった。良心がかれを苛んだのは、魂を保っていたためである。
やんぬるかな…、つよすぎた自責から、あわれ、ついには自己崩壊してしまったのだが。
いろいろな意味で、気の毒な人生ではあった。高邁な理想を実現させるに、詮ずるところ、方途をまちがってしまった。これが最悪を生んでしまった。
かえすがえすも残念だ、大量殺戮も当然そうだが、天才科学者をうしなったことも、である。
ただただ冥福を祈るのみ、二万をはるかにこえた犠牲者もあわせ、ともに。
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